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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

自伝④失恋、東大受験編(高校後半)

前回(下記記事)からの続きである。

double-techou.hatenablog.com

 読書や文章を書くことが好きだったので、高校時代は文芸部に入っていた。ここでは小説を書いていたが、そちらの結果は惨憺たるものだった。小説とすら呼べない糞みたいな駄文を生産し、完全なる黒歴史となった。私は小説を書くのに向いていないし、そもそも表現したい内面世界がないのだという事実をはっきりと突き付けられた。自己顕示欲だけでは小説は書けない。私が文学フリマに小説ではなく自伝を出そうとしている理由にはこの時の体験もある。小説を書くな、自伝を書け。小説を書くということは高度な創造性の発露であり、そこまでして表現したい世界が作者の中にあるということだ。小説を書ける人は凄い。

 高2の時のできごととしては、障害者の私には珍しく色恋の話が印象に残っている。当時席が隣になった女の子によく勉強を教えていた。そのうちに完全にその子のことが好きになり、両想いかもしれないなどと非モテ特有の勘違いを始めた。しかしあろうことか修学旅行中、その子には高1の時から好きな相手がおり、最近付き合いだしたということを知った。それを聞いて完全にやさぐれたしまった私は、修学旅行中の写真全てにファック・サインをして写ることにした。旅行先がアメリカだったので、射殺されても文句を言えない行動だった。ところが当時の私はファック・サインは人差し指を立てるのだと勘違いしていた。それに加えて、脳性麻痺で手の向きが思うようにならなかった。この二つが重なった結果、私のファック・サインは完全にオードリーの「トゥース!」になってしまった。同じ班の人から見れば、私は相当熱心なオードリーファンに映っただろう。

 そうこうするうちに受験がやってきて国立前期で東大理一を受けた。合格発表の時、合格発表サイトに間違って前年の番号が表示され、その中に自分の番号があったため周囲と大喜びをした。ところがその後サイトは正しく訂正され、その中に自分の番号はなかった。想像を絶する気まずさが場を支配した。落ちたこと自体よりもその体験の方が心の傷になっている。それにしても、あれだけ早期教育(自伝①地獄編(出生~小学校卒業) - ダブル手帳のブログ)を受けておいて落ちるのも我ながら凄い。受験勉強の時にコンサータがあれば結果は違っていたかもしれないと時々思うが、負け惜しみでしかない。浪人するのはプライドが許さなかったので、偏差値が高いという理由のみで選んだところに国立後期で入った。この時の私は純粋に偏差値のみを追い求める自我の無い受験マシーンであった。ただ、目標ややるべきことがはっきりと決まっており一心不乱にそれに打ち込む状態は、それがどれだけ端から見て無価値なものでも本人には充実感をもたらす。それは受験だけでなく、就活、労働、結婚、出産、育児、趣味、宗教、全てに言えると思う。「信じる心があなたの魔法」*1なのだ。そういう意味で私の高校時代は極めて幸福だったと総括できる。

*1:大好きなアニメ「リトルウィッチアカデミア」より