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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。多くのヘルパーさんのお陰で一人暮らしができています。

万博へ車椅子で日曜午後に2回行った感想

【はじめに】

 今回は車椅子ならではの視点を中心にします(厳密ではありませんが)。それが最も公益性が高いと考えるからです。従って本稿は、筆者と同じく車椅子の人やその帯同者が「行って楽しめるかどうか」「知っておくと役立つ情報」「良かった点、悪かった点」「成功談、失敗談」を伝えることを意識しつつ綴っていきます。

【筆者の前提条件・状況】

  • 自由に動くのは頭と左腕ぐらい
  • 簡易電動車椅子で生活。
  • 以前は一人で外出できるぐらいの元気があった。今は殆どの場合ヘルパーさんを伴う。体調も非常に不安定である。
  • 特に今回は混雑状況などを含めて全く未知数だったため、最も信頼できる方と一緒に回った。
  • 筆者の状況ゆえに本稿は2人で回ることを前提にしているが、これは障害者単独での万博を否定するものでは全くない。むしろそうした方にも参考になる部分があれば幸いである。
  • まとまった移動支援を受けられるという条件や予約抽選システムの仕様(後述)などに鑑みて日程は以下に決定した。
  • 1回目:4月20日(日)
    2回目:5月18日(日)
  • いずれも日曜日の午後(13時45分頃)会場に到着した。

【前日までの準備編】

 まずお伝えしたいのは、そもそも万博に行くと判断した決め手である。大阪府在住で「面白そう」と思うだけでは、重度身体障害者の筆者にとって十分な理由にはならない。
 しかし「来場日時が3回まで変更可能」という条件を聞いた瞬間、特別割引券3,700円×2枚(筆者と介助者)を購入した。筆者の外出においては、日曜に限られることもさることながら、自分の体調がどうなるか直前まで分からない事が最大のボトルネックだ。また介助者に緊急事態が起こることもありうる。だが半年間で実質4回のチャンスがあるなら、流石に全部ダメという事態は考えにくい。ならば7,400円払う価値が十分あると思った。結果的に順延することなく行けたが、もしこのシステムがなかったら絶対に万博には行ってなかった、と断言できる。こういう細かい部分が決定的に重要なのだ。

 旅や外出では「ガチガチに事前準備する派」と「なりゆきまかせ派」とに二極化しがちだ。ただ筆者に限らず車椅子の人は、後者を選ぶとえらい目に遭うことを身に沁みて分かっている筈だ。特に万博は前者向けにできているため、後者の傾向が強い友人などと行くのはお勧めできない。
 もっとも筆者の考え方はあくまで車椅子目線である。それを予めご理解頂いた上で読み進めて頂きたい。

 まず万博運営は ①2ヵ月前抽選 ②7日前抽選 ③先着枠 という事前予約システムを設けており、多くのパビリオンやイベントがこれに準拠している。詳しくは公式情報を確認してほしいが、①と②は絶対にバカにせずにやっておいたほうが良い。ここを逃したものは事実上ほぼ入れない。仮にこれらを忘れていた場合、日程自体の順延を考えても良いとすら思う。
 どんな理由で順延するにせよ、最も理想的な振替日は順延を決めた日の2カ月後より先だ。例えば6月27日に決断したら8月28日以降にすれば①②に参加できる。
 対照的に③は、2回とも深夜0時に向けてガチったが取りたいものは取れなかった。当日3日前であることを考えれば身体のためにも早寝早起きして、残っている中から選ぶ程度で良かったと後悔している。

 抽選で第1候補~第5候補まで入れている時に「車椅子向け」が無いものとあるものが混在していることにお気付きかと思う。
 車椅子向けが無いものでも殆どが統一のアクセシビリティ基準に準拠している。従って必要な合理的配慮は受けられる筈である。単に内容や方針からして「枠まで分けなくてもいい」という判断だろう。少なくとも筆者は不便を感じなかった。
 車椅子向けがあるものは全てその枠に申し込んだ。強い信条的な拘りはなかったので無難な選択をしたのである。従ってそれ以外の枠のことは分からない。
 車椅子枠は2種類に分かれる。他と同様に障害者と介助者の2名分の予約が必要なものと、1名の予約で両者が入れるものだ。後者の枠をどう申し込んでいくかは非常に頭を使う。高度な戦略性が問われる一方で計画好きにとっては最大の醍醐味である。いずれにせよこの辺は、当事者と帯同者でとりわけ綿密に話し合っておくべき事柄だ。

 AIエージェントアプリ、紙の地図の使い分けの重要性や難しさは健常者にも共通するが、車椅子ユーザーにとってはより切実である。スマホ複数台と優秀なヘルパーさんの存在に助けられて何とかなったが、それでも片腕しか使えない筆者は時々会場で気が狂いそうになった。とはいえ以下ではこれらを使いこなせることを前提とする。グーグルマップ等も併用して何とか頑張って頂きたい。

 車椅子で使えるトイレの数は十分にあるしpdfで一覧にもなっている。ただこの表は非常に長大なので、どうマップに落とし込んでいいか戸惑うかもしれない。ここで大事なのは短距離、中距離、遠距離の順に三層構造で場所を把握することだ。これはトイレの憂いを断ち切るうえで重要なので尺を取って説明する。

短距離(最寄り):車椅子トイレが1~2の地点や、訪れたパビリオン内の多目的トイレなどがこれに当たる。当然真っ先に確認するだろうし、ここが空いている時は何の問題もない。ただし埋まっている可能性も低くはない。そういう時は日常生活ならそこで待つほかないが、万博のような特殊な空間・状況ではそうではない。次の予定や行きたい方向によっては違うトイレを当たる方が良い。そこで中距離・遠距離という概念が出てくる。
中距離(ゾーン核):これは車椅子トイレが4前後の場所である。数と空き具合のバランスが最も良く、動線の近くにあることも多いため最もお世話になるカテゴリーかもしれない。いくつか目星をつけて地図に落としておくと良い。
遠距離(巨大基地):これは車椅子トイレが6~8ある場所である。数も少ないうえに概して中心からは遠いリング外などにある。その代わり全て埋まることは極めて稀だ。少なくとも筆者は遭遇したことがない。ここは全て地図に落としてみてほしい。たまたま近くにいる時は言うまでもないが、どこにいようとも「このベースが最終手段として存在する」と思うだけで安心材料になる。

 ついでに大屋根リングの下(1階)と上(2階)を繋ぐエレベーターの位置もチェックしておこう。車椅子の人が両者を行き来できるのはここだけだ。

【当日の推奨事項】

 まず往路は2日とも東西線本町駅から夢洲駅まで一本で行った。家から本町駅に行く手段は人それぞれだろうが、筆者同様福祉タクシーなどを利用される方は、必ず本町の十字路の「オリックスビル側に降りたい」と伝えて頂きたい。その区画に20番出入口がある。曜日問わずEVが使えるのは20番出入口だけなので、必ずここを目指してほしい。最初19番のEVを目指したら、入居する建物が閉まっていて入れず時間を無駄にした。くどいようだがとにかく20番の位置を予め確認してほしい。

 この万博は基本的にキャッシュレスを標榜し「現金は使えないし、持ってくるな」というスタンスだと理解している。確かに会場内はそうなのだが、筆者は現金に助けられたことがあった。5月18日に夢洲駅の改札を出ようとした際に、障害者割引カード・介助者割引カードが残高不足だったのだ。もしこの時現金を持ってなかったらどうなっていたか分からない。従って筆者は「万博と言えども数千円は持っとく」派である。 

 入場は車椅子対応っぽい係の人に従っておけば問題ない。筆者は2日ともすぐ入れたし、手荷物検査も普通に通った。だから入場に関してさほど心配する要素は無いと思う。
 入場してから10分後に当日登録ができるが、2日共殆ど何も残ってなかった記憶がある。少なくとも日曜午後2時に人気のパビリオンが残っている可能性はゼロに近い。個人的には、車椅子ユーザーにとって重要な時間のゆとりを削ってまで、登録を試みるのは骨折り損だと思う。もう初めから考えないことにしてもいいかもしれない。
 先着順のパビリオンなども並べば入れないことはないが「ルクセンブルク1時間半待ちでーす」という具合だった。これが珍しい訳ではなく、もっと並ぶところもある。昔の人は月の石で4時間並んだそうだがトイレとかどうしたんだろうか? 車椅子なら尚更お勧めできない。

楽譜の形をしたオーストリアパビリオンの外観

オーストリアのような人気先着順パビリオンは諦めた

 心配せずとも並ばずに入れる自由入館の場所は山ほどある。何もタイプAパビリオンだけが万博ではない。むしろ万博本来の趣旨からいえば、馴染みのない国を回ったりする方が王道とさえ言えよう。人が少ない所には車椅子が通りやすいという確実な長所があるし、どんなに地味な展示にも面白さを見出すことは可能である。筆者は比較的何でも楽しめる方だ。逆に映画を観終わって開口一番「つまらんかった」と言うタイプの人は万博に向いてない。

 車椅子ユーザーは、雨が降れば自動的にリングの下を通ることになるだろう。 これもなかなか壮観だが、どのみち頻繁に通るので新鮮味は段々と薄れてくると思う。従って晴れているうちに2階からの眺望を楽しんでおくのが吉だ。筆者も4月20日が晴れたのでそうした。また2階から更にスロープで一番高いところまで上がることもできた。ただしこういうことをするのは数十分のまとまった時間がある時にすべきである。車椅子の人はスロープと数か所のEVを通じてしか1階に降りられないからだ。他の人なら数分のところで20分弱かかることを常に頭の片隅に置かねばならない。例えば次の予定が近づく中で2階に上がるならあまりEVから離れすぎないようにする、といったことだ。

大屋根リング上からの眺め

 さて、ここまでは実践的な情報を書いてきたつもりである。

 ここからはあくまで車椅子目線という軸は守りつつも、各パビリオンやイベントなどについての筆者の主観的な感想になっていく。車椅子で行ってみて、どちらかと言えば良くなかった体験、良かった体験、どちらでもない体験という順番で、それぞれに関する所感を述べていく。

【筆者が体験した主なコンテンツ(時系列順)】

◆4月20日(日)

  1. コモンズD
  2. ポーランドパビリオン
  3. 英国パビリオン
  4. 英国レストラン
  5. 石黒浩氏パビリオン『いのちの未来』
  6. One World, One Planet.

◆5月18日(日)

  1. ワンハンドBENTO ポークたまご×2購入
  2. 河瀨直美氏パビリオン『いのちのあかし』
  3. 中島さちこ氏パビリオン『クラゲ館』
  4. オランダパビリオン
  5. 豪州パビリオンの横で行われていた音楽ライブ
  6. アゼルバイジャンパビリオン
  7. 夜の地球(輪島塗)
  8. アオと夜の虹のパレード
  9. ブルーオーシャンドーム

【上記の車椅子目線での感想】

 歩行者と車椅子で「全く同じ体験ができるか」と言うと、それはちょっと違うと思う。どちらが良い悪いではなく、両者で同じ体験にはならないということだ。一長一短なのである。

✕短所(あまり良くなかった体験)

・一番違うのは動線である。今回の万博では動線自体が重要な意味を持つ建築物が多数ある。それ自体に一種の思想や気持ち良さみたいなものが埋め込まれているのだ。例えばポーランドなら螺旋状の順路を、『いのちのあかし』なら廃校舎を、階段で上り下りする体験自体が大きなコンセプトだと感じた。しかし車椅子だとEVを拠点に行きつ戻りつするので、動きはそこを中心に制約されたり指示されることとなる。その度に動線が寸断されたり別行動になったりする。筆者はさほど気にならなかったが、動線にこだわる人や深い没入体験を求める人にとっては、水を差される感じがあるかもしれない。

木の格子のような外観をしている

ポーランドパビリオンの外観(昼)

先ほどの写真よりは引いて撮った遠景

ポーランドパビリオンの外観(夜)

 もちろん総合すれば基本的に歩行者と同じ展示物を全て見ることができる。ただポーランドやブルーオーシャンドームの展示物の中に、車椅子だと少し頭より高くて見えづらい場所もあった。そういう時はヘルパーさんにスマホで写真に撮って頂き間接的に見た。とはいえ統一アクセシビリティ基準の関係で「絶対に車椅子で見られないような高所に大事な展示物がある」というのは考えにくい。実際この時も(筆者の身長は156cm程の上に猫背だが)もっと身長や座高が高い人なら見えたかもしれない。そういうすごくギリギリのラインだった。だから可能な人は手を伸ばし、上からスマホをかざして撮るのも一案かもしれない。

筆者の視点のおおよその高さが反映されていると思われる画像3枚(筆者撮影)

・ある場所でヘルパーさんと「ちょっとここは車椅子だと息苦しいので離れましょうか」といった話をしていた時、ヘルパーさんが後ろから急に話し掛けられた。その人はヘルパーさんに「今回の万博では全て幅もちゃんとね、80センチの車椅子よりも大きな120の幅を取って、そういったことをテーマにしてますので、命ですとか水ですとか、安心して遠慮なさらずに、すべてバリアフリーにさせていただいておりますので、ごゆっくり……」と言った調子で滔々と語り出す。いやそれは誠に結構なことだが、今我々はそんな話はしていない。おそらくあまり慣れていないボランティアのスタッフさんで、状況をよく把握しないままつい何か言いたくなったのだろう。
 ただそれなら介助者ではなく筆者本人に言うべきだ。介助者ではなくまず先に本人に話すというのは、障害者を人間として扱う上で最も大切なことである。これは状況や立場に関わらず守ってほしい前提だ。その人が「万博は障害者に理解がある」ということを示したかったのだとしたら、意図とは真逆の結果になっている。むしろ「本質は何も分かっていません」と喧伝しているに等しい。この体験が万博2回の中でも断トツで一番辛かった。たぶん悪意はないと思うので、改善されることを切に願う。

・河瀬直美氏のパビリオンで車椅子的にきつかったのは、進入経路の全てに砂利があったことだ。雰囲気が大事なのも理解するが、1つでも砂利道でない経路があれば良かった。

砂利道が多いことが分かる

河瀨直美氏のパビリオンの中から外を撮影

◎長所(良かった体験)

・パビリオンのスタッフは海外の人が中心だったり日本人が中心だったりと様々だが、どこに行っても極めて丁寧に案内して下さる。
 ポーランドは同国出身と思われる方々がスタッフをされている。彼らはあらゆる側面で非常にレベルが高い。それは筆者のような車椅子ユーザーを案内する際の柔軟かつ完璧な対応にも如実に現れていた。ある訪問者が「どうやってあんな精鋭部隊を集めたんやろなあ」と言っていたが、筆者も全く同感である。ポーランドと後述するアゼルバイジャン以外は日本人スタッフがメインだったが、こちらでも非常に丁寧に案内してもらうことができた。

 丁寧過ぎて窮屈に感じる人もいるかもしれないが、これについては理由が分かるとむしろありがたいと感じるのではないか。車椅子で生きていて一番悲しいのは、前に人が立つと何も見えなくなることだ。この万博ではどの館もそういうことにならないような場所や進行が確保されていた。つまり彼らがあれこれと誘導してくるのは「よく見えるように」あるいは「一番良い位置で見えるように」という善意故なのだ。それをどう受け取るかは人それぞれだろうが、筆者はありがたいと思ったので素直に従った。 結果的に正解だったと思う。 

男女がステージで歌を歌い、その手前に老夫婦がいる。

豪州の兄妹ユニットによる音楽ライブ。手前はそのご両親。

3人がステージで歌を歌い、その手前ではお母様が熱心にカメラで記録を残している。

終盤、お父様が客席からステージへ上がり超絶テクで弾き語り。筆者ら観客は大喜び。

 それを感じたのは豪州音楽ライブ、英国、オランダ、ブルーオーシャンドームなどだが、とりわけ石黒パビリオンでのことが印象深い。誘導された先がバーチャルマツコさんが投げかける視線の真正面だったのだ。しかも筆者の車椅子の高さも合わさって、ばっちり完璧に目が合う。バーチャルマツコさんから何度も目を見据えられて「あんたどう思う?」と尋ねられる。これは人生でそうそうあることではないし、車椅子ユーザーか子供でなければ絶対に経験できなかっただろう。そういう意味で非常に貴重な体験をさせてもらった。

こっちを鋭く見据えているバーチャルマツコさん

もっと目が合った時もあったと思うが、記録に残っている中ではこれが一番。

 『アオと夜の虹のパレード』の車椅子席も、ゲート真ん前の一番良い席で本当に最高だった。炎の熱も感じられたし、演出が厨二病心をくすぐるというか、オタク的にはもうたまらんわけです。ただ水しぶきはバシバシかかったので、水中からレジオネラ菌が検出されたら実施できないのはむべなるかな。

・アゼルバイジャンパビリオンには大勢の人が並んでいた。そこでスタッフと思しき男性に「これは自由入館と書いてあるが、現在は先着順に並ばないといけないのですか」と尋ねた。彼は日本語に不慣れなようで「最後尾はあっち」という感じで指差した。それなら時間的に難しいと考え、礼を言って立ち去ろうとすると後ろから何か声をかけられた。再び歩み寄ると彼は「トゥーミニッツ、トゥーミニッツ」と言う。そこで英語に切り替えて会話すると「ここで待っとけば2分で入れますよ」という趣旨だった。実際に2分経つとパーテーションを外してくれて、件の行列の先頭の方と並んで入ることができた。これがどういうことだったのかは未だによく分からない。我々がたまたま入れ替え時間の直前に来ていて、列に並んでいた人も全て入れたのかもしれない。あるいは純粋な好意やオペレーション上のメリット等、何らかの理由で車椅子を優先してくれたのかもしれない。もしそうだとしたら非常にありがたくもあり、申し訳なくもある。ただ筆者の方から要求やズルをした訳ではないことは強調しておきたい。いずれにせよ彼には感謝しているし、アゼルバイジャンという国に対して非常に良い印象を持ったのは確かである。

直方体に指で指紋を付けたように見える建物

アゼルバイジャンパビリオンを正面から見た外観

建物の手前にパーテーションがある。

2分間待つように指示された地点

「持続可能性への7つの懸け橋」と題した哲学的な案内パネル

持続可能性と七人の美女を結び付けて考えたことがなかったので、斬新だなと思った。

前述されていた「七人の美女」たちの像。このモチーフはアゼルバイジャンがイスラム教国であることと関係がありそうだ。

・クラゲ館は色々な障害種別の人が皆それぞれに楽しめるようになっているのが良かった。暗闇の区間では遠慮なく岩(?)に横にならせてもらい、音と振動を楽しんだ。
 車椅子の筆者が一番感銘を受けたのは最後の区画だ。

ダンスホールの壁面にクラゲの映像が投影されている様子

クラゲ館の最奥のダンスホール

 ダンスホールになっているのだが、そこである車椅子の男性が器用に動きながら楽しそうに踊っていた。筆者も釣られて踊りまくった。対照的に歩行者はあまり踊っていなかったので、皆シャイなんだなと思った。終わった後、出口でその人が来場者に次々お礼を言っていた。彼はボランティアスタッフだったのだ。筆者は余計に嬉しくなり、出口で「車椅子を漕ぎながら動くなんてすごいですね、楽しかったです、頑張ってください!」と早口で一気に伝えたところ、にこやかにお礼を返して下さった。これは最も素晴らしい瞬間の一つだった。万博自体は賛否両論あるにせよ、ボランティアの方々のことは常に尊敬している。筆者は車椅子の身でスタッフ側に回るなど考えもしなかったが、そういう方がいることに大変励まされた。彼は後日新聞に取り上げられていた。

 タイトルや写真からこの方の印象は掴めると思う。クラゲ館がアクセシビリティをテーマにしていたこともこの記事で後から知った。

・ワンハンドBENTOについては「片手で簡単に食べられる料理の選択肢を増やそう」という発想が興味深いと思った。筆者のように片腕しか使えなかったり、車椅子の運転で片腕が塞がる人にとっては喜ばしい。その際、健常な腕と筆者の腕では機能が違うということも重要になってくると思う。例えば筆者はモスバーガーやタコスや ケバブサンドなどを、机のないところで独力で食べる能力は無い。三角おにぎりも、左手と口で両端を均等に引っ張れずに失敗することの方が多い。膝の上で独力で開けて食べる自信があるのはコンビニのサンドイッチくらいだ。ワンハンドBENTOの難易度は上記2種類の中間くらいだった。
 個人的には手がずっとグーの人でも自力で食べられるようなものが増えればと思う。例えば食べられるボクシンググローブのようなものだ。これは球体上の袋のようなもので、特定の方向から拳で貫くと裏返って中身が表になる。それをかじって食べれば手も全く汚れない。大変良いアイデアだと自負しているのだが、食品衛生や包装に携わる人から見ればそんな簡単な話ではないのだろう。とはいえ「障害とまでいかずとも、人知れず腕に何らかの不自由さを感じている」方は想像以上に多いかもしれない。什器や流動食については従来から研究開発が進んできたと思うが、固形食品の形状と持ちやすさの関係に絞って考えてみるのも興味深い。

・5月は4月に比べて確実に人が多かった。4月は人の流れなど気にせず会場内を自由に回れたのだが、5月はリングのすぐ近くや大通りでさえ人で溢れていた。結果的にリング下を通るのが一番楽な移動方法となっていた。リング下は車椅子でとても動きやすい。どういう原理なのか分からないが動線がすっきりとして、人とぶつかる感じが全然しないのだ。リング下を周回している側としては、人がリングへ横入りしてくる箇所を何となく予測しながら歩くことができる。横入りする側も、迷惑にならないように自然に上手く横切れる。これは太い柱が空間を仕切っていることによる効能かもしれない。とにかく筆者も含め車椅子ユーザーにとって、混雑しすぎて直進できないことほど嫌なものはない。広々とした通路ではそれだけでバフを受けているような気持ちよさを感じる。そういう意味ではあの大屋根リングもよく考えられていると思う。

・河瀨直美館の自由入場スペースに、3分間2人が向かい合って座る機械(詳細は割愛)がある。主に使っていたのは2人連れだったが、本来の趣旨は見知らぬ他者と対話することらしい。筆者はそれを愚直に守り、向かいにヘルパーさんを座らせるのではなくひたすら相手を待ち続けた。3分経ち、5分経ったが相手は現れない。傍から見れば非常に惨めである。みんな本当は異質な他者との対話など求めていないのか?それとも筆者が怖いのか?でも筆者が逆の立場だったら筆者の向かいに座るだろうか?などと考えながら10分ほど待った時、ようやく相手に恵まれた。同年代ぐらいの女性であり、大変話しやすい上に鋭い視座を持った方だった。筆者もそれなりにまともなことを喋れていたと思う。短時間ではあったがとても良い対話になった(その内容は本稿の趣旨から逸れるので別の機会に譲る)。こういう場面で得体の知れない相手にも物怖じしない人こそ、真のコミュ強だと筆者は考える。だから彼女には大いなる尊敬の念を抱いた。彼女の母親とおぼしき人が様子を撮影していて、これも何らかの形で記憶されていくのかと思うと不思議な気持ちになった。

△中立的な所感

・石黒館の1000年後の未来では、人間は能面と妖怪と車椅子をくっつけたような曖昧な姿で交互に光を浴びている(下記)。何か啓蒙が高い感じで非常に興奮したし「早くあれになりたい」と思った。実際、石黒館はまさにそうした人とアンドロイドの境界や人間性の揺らぎを表現したかったはずだ。だが車椅子の誘導や配布されるパーソナルデバイスがうまく行かない人へのケアなど、細々としたことは結局全て人のスタッフが対応に駆け回っていた。そこにものすごいギャップとトホホ感があり「まだまだシンギュラリティは遠いな」と一気に現実へ引き戻された。

繭でできた3柱が啓蒙の光を浴びる様子

こいつらは回転している

何か叫んでいる

紫色モード1

紫色モード2。少し悪魔にも見える。

早くこれになりたい。

【行かない方々にも理由がある】

 関西の車椅子ユーザーなら、少なくとも行くかどうか検討する価値はある。中之島の国立国際美術館のように障害者無料ではないが十分元は取れたと思う。

 また筆者個人は万博そのものを政治と結びつけて考えたことはない。従って賛成/反対などの意見は一切ない。今は自分や周囲の人、及び読者の方々が幸せなら満足だし、それを超えるほどの信条は持ち合わせていない。

 ただし万博への疑義を党派性のみに矮小化するつもりもない。巷で散々指摘されてきた問題は割愛するが、少数者の視点に絞ったとしても巨大イベントというのはまさしく諸刃の剣なのだ。自分達の存在感を高められる利点と、一定の方向に利用されるリスクとが、常に併存するからである。両者を真剣に比較衡量した上で「参加しない」ことも、また1つの見識ある選択として十分に尊重せねばならないと考える。

【まとめ】

 最後に賛成反対の枠を超えて「70年万博との比較」という視点から考えてみたい。今回の万博は70年万博を引き合いに出して貶されることも多い。障害者たる筆者は「70年万博の方が良かった」とは全く思わない。もちろん筆者は70年には生まれていないから厳密な意味での比較はできない。だが関西出身でもないアラサーにしては、むしろ70年万博にかなりの愛着を持っている部類だと思う。大学時代、モノレールからいつも見える太陽の塔が大好きだった。万博記念公園に何度も通って塔の背中もちゃんと確認したし、エキスポ博物館はどれだけ居ても飽きなかった。当時の映像を繰り返し眺めては、母が4時間並んだ末に一瞬だけ月の石が見えた時の気持ちを想像した。

 だがそこに障害者が楽しく参加できそうな余地は見出せない。今回の万博では筆者のような重度障害者が思う存分参加できる。自分の意思で計画を立て、好きなところに行くことができる。これこそが70年万博には無かった価値であり、55年分の「人類の進歩と調和」の証である。立場も思想も時代も異なる人々による長年の地道な貢献の蓄積が、我々の社会をこの段階にまで引き上げてくれたのだ。その脈々たる営為に心から感謝し、本稿の結びとさせて頂く。

 お読み頂きありがとうございました。

【おまけ】

液体の入ったガラス容器が沢山吊り下げられている。

ポーランド館の展示。すごくきれい。

「バーラト」という立体文字。インドのモディ首相は自国をこう呼ぶ。

インド館。ここも結構込み合っているように見えたのだが、スタッフさんは「はいもう順番関係ないですから、入って、入って、待ち時間なしで行けますよ!」と威勢よく呼び込んでおり、本当に自由入館だなと思った。

ミッフィー像とチューリップドレスみなほしのぬいぐるみ

オランダ館にて記念撮影。

夜空に赤と青で綴られた『One World, One Planet』の文字。

会場中央からもよく見えた。熱中しすぎて、予約したバスを逃しかけた。

巨大ガンダム像

ヘルパーさん曰く、最初に敵を倒した時のファーストガンダムらしい。

マルビル跡のバス停に鎮座するミャクミャク

万博会場とここを結ぶシャトルバスは普通料金の1,000円×2である。要予約。