Mastodon

ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。多くのヘルパーさんのお陰で一人暮らしができています。

ここ2年の状況と今後のアウトプットなど

 大変ご無沙汰しております。今日はタイトルにある2つの件につきご報告したく存じます。

①ここ2年の状況

 だいたい2年前に小説のオンラインクラスに通いました。ノンフィクションでは表現できないことが表現できると思ったからです。実際アイデアやプロットは無限に出るようになりました。でも書きたい場面と場面の間を書くのが私にはできません。ライター時代は2万文字くらい書いて4千字に縮めていくのが最大の勝負所でした。私は当時この工程が得意だったのか、死ぬ気でやれば納得いくものになりました。対照的に小説では1万2千字を超える作品さえ一度も完成させられませんでした。評価の壁の遥か手前、文字数の壁にぶつかった訳です。理由は色々付けられます。障害当事者の市川沙央さんが『ハンチバック』で芥川賞を獲ったこと、私が小説で表現したいことは本作に殆ど表現されていたこと、生成AIの発達etc...。ただどれも核心ではない。煎じ詰めれば結局やる気の問題でしょう。

 小説を諦めてからは1年程VRChatに入り浸っていました。生成AIの発達により、創作物よりも人と人との間の直接の関わりの価値が相対的に高まると思ったからです。VRChatはそこそこ楽しかったです。SNSのフォロワー数やFF比とは無関係に、世の中には無名でも素晴らしく善良な人々がおられることを学びました。この世の中も捨てたもんじゃないと思わせてくれた人も、逆に「人間ってここまで低くなれるんだ」と思うような人も、大勢見ました。そうした高低両方の外れ値や、10〜20代に経験しなかった種類の喜怒哀楽を濃縮して味わえたのは、青春の回復という感じで良かったです。

 ただPlusに入って応援しときながら言うのもなんですが、VRChatは明らかにまだプラットフォームと呼べるほど洗練されていません。アクセシビリティの問題は言うに及ばず、どの角度から見ても破綻しているか持続可能性が無いかのどちらかです。VRChatであれ別のサービスであれ『メタバース』的な活動が今のスマホ並に一般化するのは相当先でしょう。その時戻れば十分です。少なくとも現状のVR空間に人生の残り時間をこれ以上投じる意味は感じません。来月以降は月1くらいのプレイ頻度にするつもりです。

 さて私の方針の一つに「無になったらインプットに戻る」というのがあります。なにせ積読が大量にありますし、たとえ内容を忘れても消費している時は楽しいからです。その間に新たにやりたいことを思い付く場合もあります。ただいきなり文字が多いのは厳しいので、今はひたすら画集をめくっています。これは精神に良いです。やはり私が最初に知った感情は萌えであることを再認識しました。画集を全部読んだら次は漫画、Audible、Kindle読み上げの順でリハビリしていくつもりです。

②今後のアウトプット等について

 結論から言うと「VOCALOIDで歌を作りたい」と強く思っています。私には言い残したことが沢山あって、それを表現するのに最適かつ唯一可能な方法だからです。もう決めたことなのでくどくど説明しません。とにかくこの歳でゼロから音楽の勉強をします。生易しい事ではないと思いますが、逆に「全ての人から学ぶことができる」とも考えられます。皆様が先生です。厚かましく色々教えを請うこともあるかもしれません。どうか寛大な心で見てやって頂ければ幸いです。納得いくものを作るのに何年かかるとしても、やるのは確定事項です。意志が弱い自覚があるからこそ「絶対にやる」とここに宣言しておきます。

 私の余命の期待値も少し明らかになってきました。パープレキシティ君のお陰で、私とほぼ同様の状態の脳性麻痺者の生存率を長期的に記録した統計を探し当てることができたからです。西オーストラリア州のさほど大きくない母集団とはいえ本当にありがたいです。私は引用元の論文の障害スコアに当てはめれば6です。つまりこの論文のグラフにおける赤い線こそが、私が長年知りたかったものなのです! これは予想ほどには低くないですが、それでも明らかに健常者を何割も下回っています。また私の生活習慣はあまり褒められたものではないため、この生存率は更に割引くべきでしょう。もちろん今日死ぬ可能性もあれば65歳を超える可能性もあります。つまり楽観も悲観もしておりませんが、平均より肉体的にも精神的にも非常に脆い基盤の上に生きているのは確かです。それを覆すことはできないので、代わりに最大限重荷を外して自由を享受したい。私の人生観はそのようなものです。

 死ぬまでに何を残せるかは正直分かりません。それは程度の差こそあれ皆に当てはまることです。昨日を生き延びた大人、昨日生きようとして殺された子ども、昨日燻っていて今日輝く人、昨日輝いて今日死ぬ人、何かを残せる人、残せない人、色々な人がいるでしょう。それらを以て各々の生の間に優劣や貴賤をつけることなどできないと思います。

次回

 また気が向いたら次の2点もブログに書きたいです。

  1. 無酸性紙にチマチマ書きつけている日記について
  2. きららアニメに障害者枠を希求する会代表の立場から観た『ぼっち・ざ・ろっく!』の感想

 ここまでお読み頂き誠にありがとうございました!