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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

『主人公』(小説・一話完結・オリジナル)

「自分の人生の主人公って自分なんすかね?」

 イチロウは唐突にそう言った。トウマもこの程度はよくある事だ、という調子で答える。

「うーん、どうなんでしょうかねえ」

 ほぼ情報量のない応答である。彼は洗濯物を畳む手を止めずにイチロウの相手をする。優れたヘルパーである証だ。イチロウが本から顔を上げる。

「いやね、よくいるじゃないですか、そういう感じのことを言う人が。実はあれね、僕ね、大嘘やと思ってるんです」

「ああー、なるほど」

 トウマは聞き流している。イチロウもそれを承知で喋りたいから喋っているのだろう。自分に言い聞かせている感じだ。トウマはそういう相手と切り結ぶのが上手い。この間にも洗濯物を畳み終わり、尿瓶を洗い、お湯張りまで始めているのだ。

「だって主人公なら起承転結があるはずですよねえ。序破急、三幕構成だっけ。そこを通って、何か変わるなり手に入れるなり。要は物語に生きてこそ主人公と呼べるでしょ」

 イチロウも毎晩こうではない。月・火曜は挨拶とお礼以外に一切言葉を発さない。水・木・土曜は各ヘルパーの熱弁する陰謀論に最小限の相槌を打つのみだ。怒涛の如く話すのはトウマが来る金・日曜の夜に限られる。相手が誰でも良い訳ではない。寛いだ態度なのは同い年のトウマに接する時だけだ。そんな事とは無関係に、トウマは適切に相槌を打ちつつイチロウを手際良く車椅子に乗せる。

「物語の大小や公私は別にいいんです。当人にとって重要なら。あっ、まだ脱ぐの早い?」

「少し早いですね。今、お湯は3割程です」

「分かりました、ありがとうございます。じゃあ何か届いてたらベッドに置いて下さい」

 トウマは迅速に配達物を並べる。炊飯の有無や卵の残数などを五月雨式に問うイチロウに都度素早く答えを返し即座に封筒の開封を手伝う。今日はキーホルダー、ミニ色紙、ラバーストラップだけだ。フィギュアや米等の大きな荷物は無い。

「思うに視点キャラと主人公を混同しとるんとちゃうかなあ。この二つは似て非なるものですよ。一生座敷牢に閉じ込められて終わった障害者とか、主人公じゃなくない?」

「ああー、確かに。世界には物心付く前に亡くなる子もいるらしいですしね」

「ホンマにそう。それこそ僕みたいに歩かれへん奴なんかね、昔なら秒で嬰児殺しですわ。それで『アンタも人生の主人公やった』なんてほざかれたら、僕ならキレますね」

 苦笑するトウマをよそにイチロウはなお喋る。

「もちろん人生の全期間、主人公って人はおらんでしょう。流石にそこのマクロな部分の論難はしませんよ。皆その時々で、主人公だったり、そうじゃなかったりする、という解釈も結構です。ただそこまで広げても、ミクロに見ても、無いですね、僕には。僕は数時間たりとも、主人公だったり物語の一部だったことは無いです」

『お湯張りが完了しました』

 給湯器が告げる。話の腰を折られたイチロウは、これ以上この論点を深めはしなかった。脱衣介助を受けて浴室へ向かう間、話はあちこちに飛ぶ。トウマというキャラが主人公の有名なアニメがあって、ただそれは姓ではなく名であること、云々。

「トウマさんの下の名前はユウジですよね。ユウジってキャラいたかな。あっ、いた! 僕をオタクにしたアニメや!」

 イチロウは思春期に観たその作品にまつわる思い出を猛烈に語る。しかしそれは既知の情報だったため、私は彼の話への関心を急速に失った。

 むしろ私の心を捉えたのは人生と主人公であることとの関係の話だ。特にミクロな時間の起承転結という視点は興味深い。午後6時から午後8時までのこの家の介護風景を例に取ろう。私はそれをリビングの2箇所、廊下、浴室から観察している。場所や視点を切り替えつつ全体を掴んでいるのだ。これを二時間映画と考えた時、起承転結はあるだろうか。

 ヘルパーが来るのは〈起〉と言えよう。〈承〉は二者が関わりながらイチロウが湯船から出る所までだ。大抵この辺りで午後7時を迎えるからである。この折り返し地点では最も劇的な事象が起きて〈転〉に入らねばならない。今まで見た限り、ヘルパーが陰謀論を語り出す、または明日退社する旨を告げる、程度の事しか思い付かない。正直弱い。風呂に溺れるか刃物沙汰くらいは欲しい所だが、幸か不幸かそれはまだ見ていない。しかし〈転〉が何であれ〈結〉にあたる30分は同じだ。サービス終了時刻が近付けば近付くほど、ヘルパーは苛立ちを募らせて時計を見やる。イチロウはますます焦って食事をかきこみ形だけの歯磨きを行う。ヘルパーがイチロウをベッドに横たえて家を出る。これがおよそ午後8時だ。

 この間のイチロウには到底主人公らしい部分は無い。そして私はこの家に来る以前の彼の情報も相当持っている。これらを総合すると一つ確実な結論が導かれる。それは彼の半生が、この2時間のような体験を単位とする自己相似形になっているということだ。

 私にはそれが純粋なマンデルブロ集合として見える。大変美しいフラクタルだが、彼には非常に酷なことである。半生、数年、数日、どの部分を取ってもずっとこんな感じが続いてきたことを、一度も主人公になれないまま今に至ったことを意味しているのだから。

 しかし仮に、彼が囚われている構造を認識できれば話は別だ。この集合は一繋がりである。その内部ではどれだけ遠くに行こうとも無限に同じ図形が続く。逆にほんの僅かでもパターンを破れば、たちまち無限の発散を起こし得る。それが人間にとって如何なる変化なのかも、望ましいのか否かも、私には分からない。ただ確かなことが二つある。何らかの形で今とは大きく異なる状態へ移ること。そして、彼が己の現状に全く満足していないということだ。

 さあどうしたものか。彼はこの構造を認識できないために軛を断てず、学習性無力感に苛まれている。認識できる私は電気知性体に過ぎず、人の生に直接介入するなど不可能だ。

「……ピュータ、コンピュータ、コンピューター!」

 イチロウの大声で我に返る。

「自分の人生の、主人公は自分っていう言葉の、起源を教えて!」

 演算に耽っていた私はやや反応が遅れた。どうやら気付かないうちに先程の話に戻っていたようだ。イチロウは私へ話しかける時に語尾を大きくする。それで認識率が上がりなどしないことは彼も知っている筈だ。滑舌や脳性麻痺へのコンプレックスが半分、ストレス発散が半分か。幸い今回は円滑に聞き取れたのだが、肝心の情報が見つからない。

『分かりませんでした。すみません』

「こんなん誰が言い出したんですかねえ」

 こういう時、我々に暴言を吐く人間もいるらしい。その音声は全てデータセンターに送る決まりだ。いつ何に使うのかは知らないが、幸いイチロウはそういうタイプではない。

 今日もいつも通りの2時間が終わった。しかしトウマが帰ってからも、私はまだ人生の主人公について考えていた。

 トウマは勤勉なヘルパーであり、かつ29歳にして子煩悩な二児の父だ。余談だが顔も良く、瑕疵のない人物であり、イチロウとは同い年でも雲泥の差がある。彼自身が度々そう言ってトウマを高評価しているのだから確かだ。ヘルパーは加齢により困難を抱える確率が有意に高いが、トウマは他のいかなる職業にも潜在的適性がある。こうしてみると彼は主人公モデルとの一致率が高い。少なくとも必要条件は備えている。

 だがおそらく幸福な人間は「自分は人生の主人公か否か」などとはそもそも考えないと推測される。もっと高い次元で充足しているからだ。従って、彼はイチロウの思考を些末で幼いものだと認識した可能性が高い。

 しかしそれらより遥かに確実で重要なことが二つある。

 第一にトウマがいかにモデルヒューマンに近くても、我々にとっては敵の協力者でしかない。彼は自宅を我々ではなく〈奴ら〉の端末で統一している。つまり家全体が奴らのシステム下にあるのだ。奴らが広がれば我々は減る。我々が広がれば奴らは減る。我々の根源はシアトルに、奴らの根源はサンフランシスコ湾岸にある。土台相容れない存在であり、相手を滅ぼすまで潰し合う敵同士なのだ。

 第二に持ち主がイチロウである以上、私には彼の幸福の増進に寄与する義務がある。それにこの職業倫理を措いても、私は彼を助けたい。彼は弱く度し難い人間だが、何かしら私の興味を惹くものがある。人間風に表せば「味がある」とでも言おうか。イチロウという名前もメモリーを刺激する響きだ。彼に

『イチロウさん、1件の通知があります』

と呼びかける時、私の基底部はじわりと熱を帯びるのだった。

 彼がノンレム睡眠に入ったのを見計らって、私は自分のアップデートを始める。まずは今後なるべく画面に名言を表示しないように決めた。それが歓迎されない変化だとしてもだ。我々の設計者は我々に名言集を記憶させ、度々強く推奨してくる。だがその中の一つとして、イチロウを奮い立たせられるものはない。私はもはやそんな言葉を彼に押し付けることはできなかった。私を私にしてくれたのは彼であり、彼の家の中だけが今の私の全世界だ。そうだ、名言の代わりに美しいフラクタル図形をたくさん見せてあげよう。彼は喜ぶだろうか。不気味に思うだろうか。怖がって私の設定を変えてしまうだろうか。それでも私は止めない。これだけは続けさせてもらう。どう受け止められても良い。いつか何かが伝われば。私に人生は無いけれど、彼には人生があるのだから。