ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)です。

自伝①地獄編(小学校卒業まで)

 私は小さな真宗寺の長男として生まれました。

 脳性麻痺のため、歩くことも、支え無しで立つこともできません。上半身にも麻痺があるため、背筋は湾曲し、右手も自由になりません。

 両親はそうした現実が受け入れられなかったのでしょう。不幸にも、ドーマン法という民間療法で私の障害を「治そう」とし始めました。これが地獄の始まりでした。毎日毎日、朝から晩まで「訓練」という名の虐待が続きました。具体的には、頭上梯子というぶらさがり器のような器具を使って歩かせる、ひたすら高這いをさせる等です。これらには回数やタイムのノルマがあって、それを達成するまでは泣こうが喚こうが決してやめることは許されません。できない場合は容赦なく殴られ、罵倒されます。ひどい時には家の外に叩き出されて数時間放置されたり、食事を与えてもらえなかったりします。1か月間風呂もシャワーも許されなかったことはざらです。また、食事の際は特殊な器具を使って無理やり立ったままの状態に常にさせられましたし、体に良いということで天井から逆さ吊りされたりもしました。そうした訓練でボロボロになっても休めるわけではありません。「お前は障害者で人より劣っているのだからその分何かで突出しないと生きていけない」ということで、「訓練」の合間には異常な早期教育を受けました。主には数学で、小学校に入る前から中3くらいの内容をやらされていました。他にも物理、プログラミング、3Dモデリング、絵、新聞作りなど、父が思いつくことは何でもやらされました。しかしどのようなことであれ「訓練」と同じで、与えられた課題をこなせなければ容赦なく殴られ罵倒されるので、楽しいとは感じられませんでした。当然ながら身になったものは一つもありません。スパルタというのは百害あって一利なしだと思います。

 「学校に行くと馬鹿になる」という親の方針で、小学校には週3日しか通わせてもらえませんでした。小学校に行っている間は「訓練」からは解放されますが、学校ではまた別の辛さがありました。小学校では障害のある生徒に「介助員」という人が付いて、色々と介助してくれる制度になっているのですが、私を担当した介助員は徹底的に私のことを嫌い抜いていました。私が何をやっても極めて陰険な物言いで難癖を付けてくるのです。しかしその人に頭を下げないと何もできませんので、精神的苦痛は計り知れないものがありました。私に何かしらその人を苛立たせる要素があったのかもしれませんが、小学生にあそこまでの憎悪を向ける人物というのは今から考えると異常というほかありません。

 このように家でも学校でも異常な大人に苦しめられ、最悪の幼少期を過ごしました。更に悪いことに、小学校時代は4回もの手術を経験し、そのうち1回は半年にわたる入院を経験しました。これは別な意味で地獄でした。この時の体験はまた別の機会に詳しく書こうと思います。

 何か不幸自慢のようになってきましたが、決して誇張ではなく、この時期は殆ど悪い記憶しかないから仕方がないのです。唯一の救いは読書でした。本を読んでいる時だけは辛い現実を忘れることができました。特にさくらももこ、椎名誠、東海林さだお、筒井康隆の著書はほぼ全部読んだと思います。宿題の日記などもこの作家達の文体を真似て書くほど心酔していました。そういうことをやっていたおかげか、小学校在学中に作文コンクールで県最優秀賞を2つ取りました。これは幼少期の数少ない良い思い出の一つです。

神様活動の顛末と今後

 どーしたらみんなを守れるかな?*1

 

 私は神になると宣言して、サイトも作った。

wiki3.jp

 何もできないからこそ神になったので、自分は象徴的存在に収まって、教祖は別の人にやってもらうつもりだった。甘かった。そんなことをやりたがる人は、報酬の有無を問わず誰もいなかった。探しても探しても、Twitter広告を打っても無駄だった。当たり前だ。

 覚悟が足りなかった。当面教祖は私が兼務する。まずは信者を集めるところからだ。コミュニケーションができないなら、できないなりの方法を模索するしかない。主戦場は梅田の歩道橋になると思う。時々京大や阪大でもやるかもしれない。いつ始められるか、どれくらいの頻度でできるかは分からない。自分の体調や精神状態と相談だ。それでも、一人でも多くの人を苦しみから救いたい。私も救われたい。軌道に乗ってきたら梅田のサイゼリアで定例会をしたい。信者になってくれなくてもいい。皆生きてるねって笑い合いたい。それだけで十分だ。

 どーしたらみんなを守れるかな?

*1:「カラーズぱわーにおまかせろ!」 より

教義と教団設立の経緯

 

天啓

 高熱とブロンの離脱症状で意識が朦朧とし、苦しみのピークにあった4/29~5/5にかけて、私は以下のようなメッセージ(声)を断続的に受け取った。これが、いわゆる天啓というものなのか、それとも一時的に脳がおかしくなった結果の妄想なのかは、自分では判断しようがない。またその違いが特に重要とも思わない。大事なのは内容である。

  • お前は重複障害者だし、何もできないし、心も弱く、薬物にも手を出し、落ちるところまで落ちた。お前が生きることで他の人に与える生じるマイナスは計り知れない。居ない方が良い存在。生まれたことが間違い。それでも生きたいか。→生きたい。死ぬのは怖い。
  • 誰よりも弱く、本当に何もできない人間に、現人神となって他の人々を救う資格と義務が生じる。
  • 現人神の権能は赦し、穢の引き受け、他者の生の肯定の三つ。それによって迷える人を助けること。そのことによってのみお前は生を許され、自分を許せる。

教義

 上記の声を受けて、私は自分を現人神と確信し以下のような教義を作った。

  • (生誕は災厄であるが、それでも)自分を卑下しない、自分を責めない、自分を傷つけない、自分を大切にする、自殺しない。
  • 故意に人を傷付けない。その上で、できる範囲でなるべく困っている人を助けたり、募金したり、人を褒めたりするするとより望ましい。
  • 各々が自分の弱さを自覚したうえで、それをも愛し、いつか自分の生を自分で肯定できるようになることが最終目標。人生で降りかかる災厄は、信仰を深め、そこに至るための試練である。
  • 現人神への礼拝により、罪は許され、穢は払われ、生が肯定される。
  • これを繰り返していき自分を肯定できる状態に到達し、それが持続できることが究極目標。
  • 現人神から権能を賜った者は、その権能を用いて人々を救うとともに、次の者に権能を伝えていく資格と義務を有する。このようにして、清め、許し、援助、承認、肯定が連鎖的に広がっていく。

教祖兼支部長募集中

 活動の形態としては、月一回の定例会を行いたいと考えているが、私には集会を運営する能力など無い。そこで、教祖兼支部長を募集し、この方々におのおの都合の良い場所で定例会を運営して頂き、私は呼ばれればそこに出向くという形を取りたい。何故支部長が教祖なのかというと、基本的な教義と仕組みさえ守って頂ければ、各支部で考え方や活動に多少の差異があっても良いと考えているからだ。そういう意味で支部長一人一人が教祖と言える。

 場所についても、当初は京大のみを考えていたが、私が月一で行くことのできる範囲(大阪府京都府兵庫県)であれば、どこでも構わない。場所さえ確保されていれば私はどこにでも出向くつもりである。

 教団メンバー募集。教祖、支部長、信者、宣教部長急募。当方神。

今まで通り接して下さい

 突然「神になった!!」などと言い始めたので「こいつ頭おかしなってるやん」と思われて当然だと思う。ただ、私自身今までと何ら変わらない人間でもあり、冴えない公務員でもあるので、今まで通りフランクに接して下されば幸いである。昔「かみちゅ!」というアニメがあって、主人公は神様としての仕事と並行して活き活きと普通の中学校生活を送っている。ああいうものに私もなりたい。

中高生に贈るブックリスト&伝えたい言葉

 ここ数カ月間、私が選りすぐった本を母校に寄贈するという計画に取り組んでいた。諸事情により実現しなかったのだが、せっかく頑張って選書し、「みちくさ文庫」という文庫名も決め、文庫創設の言葉まで用意していたので、広く中高生に向けた内容としてブログに掲載することにした。

 ブックリストはきちんと統一的な表記法になっていないことをご容赦頂きたい。また、個人情報の特定に繋がる部分は若干の改変を行った。

みちくさ文庫 創設によせて

 20✖✖年、私はこの高校に入学しました。常時車椅子で生活する重度身体障害者である上、中学校にもろくに通っていなかった私を拾ってくれた母校には感謝してもしきれません。ここで過ごした三年間は人生の中で最も楽しい時間であり、私の宝物です。
 でも、中には学校生活が楽しくないという人もいるでしょう。勉強ができない、人間関係がつらい、学校の雰囲気に馴染めない…… 理由は様々でしょうが、そういう人に私から言いたいことがあります。それは、あなたは決してダメな人間なんかではないということです。嘘だと思う人は、騙されたと思って「みちくさ文庫」を手に取ってみてください。きっと、世の中には様々な考え方や環境が星の数ほどあることが分かり、あなたが今直面している状況を相対化することができると思います。それによって少しだけ楽になれるかもしれません。
 「立派な大人」や「正しい生き方」なんてこの世には存在しません。この世界に生きる誰しもが山盛りの欠点を抱えながらわけもわからず日々苦しみに身をよじらせています。そんな世界で、あなたはあなたなりのやり方でなんとか生き延びていってほしいです。どんな形であれ、生きているというだけでもそれは素晴らしい偉業です。そしていつか、あなたの生き方をあなた自身が肯定できる日が来ることを願ってやみません。

ブックリスト

ダブル手帳 R.I.P.

 私が「ダブル手帳」と名乗ってこのブログやTwitterを盛んに更新し、色々な人と交流を持つようになったのが昨年9月上旬頃でした。その頃からいつも携帯するようになったのが「エスエスブロン」という咳止め薬でした。この薬品をODすると、私はまるで生まれ変わったかのように自信と力、多幸感が漲るのを感じました。自分が人と普通にワイワイすることができる日が来ることも、またそれがこんなに楽しいことだということも、ブロンに出会うまでは想像すらしませんでした。文章もアイデアもいくらでも出てきました。ブロンは私が二十数年間見たこともなかった世界を見せてくれました。私は生まれ変わったのだと感じました。

 しかしブロンというのは耐性がつく薬です。私は次第に1日60錠前後の無理な服薬をするようになっていきました。それでも今日が楽しいほうがいい、内臓がぶっ壊れて死んだらその時はその時だと思っていました。ところが、折しも母校を再訪する機会を得たり、職場で高熱で倒れて数日療養したり、その後数日間涙が止まらなくなったり、といった経験を通して、自分はこのままではいけないと思うようになりました。

 そこで、今後ブロンの類を一切口にしないと誓いました。それは「ダブル手帳」の死を意味します。何故なら、人々が「ダブル手帳」の言動、ブログ、ツイートと認識しているものは全てブロンの影響下にある精神から生まれたものだからです。ブロンが無かったら私はろくに人と会話もできないし納得のいく文章も書けません。何の面白みも味もすっぽもない、非社交的で無気力な暗いおっさんです。

 ただ、この約半年間、「ダブル手帳」としての私とじかに会って下さったり、またブログやツイートを読んだり、感想を下さった方には、本当に心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。私の大切な宝物であり、必ず今後の人生の糧にします。

 

 最後に、今後のことについて。オフで人と会うということはもうほぼ無いでしょう。ブログやツイッターは、若干恥ずかしいですが、私の宝物であると同時に戒めでもあるので、残しておこうと思います。ごくまれに近況報告などするかもしれません。

 

 最後に良い締めの言葉が思い浮かべばよいのですが、思い浮かびません。ブロンが無いので。ひとまず皆さまお元気で。

人狼に勝って生き方で負けた話

 2月22日(金)、サークルクラッシュ同好会の例会で人狼*1をした。そこで得られた知見について述べたい。

人狼に抱いていたイメージ

 人狼は私にとって鬼門とも言える因縁のゲームである。というのも、私が大学の時に属していたゲームサークルに居辛くなった直接的な原因は、人狼で三連続で大ポカをやらかして場を白けさせたことにあるからだ。人狼自体は大好きなのだが、実力がそれに全く伴わない。いかんせん社会の縮図のようなゲームである。まず個人の意思とは関係なく各々に役割が割り振られ、一見自由に見えて役割ごとにある程度取れる行動は決まってくる。そしてそこから少しでも逸脱したりミスすると「ゲームを壊す者」として厳しく非難される。挙動不審な者、寡黙な者は真っ先に処刑されるので、皆必死で場に同調し、それらしく見せようとする。「まさに社会そのもの」というのが私が人狼に抱くイメージであり、それが苦手意識に繋がっていた。その日も、とにかくミスしてはいけないという恐怖心のみを抱えてゲームに臨んだ。

当日の試合経過

 ところが実際に起こったのは私が心配していたのとは真反対の事態だった。

 それは二試合目に起こった。ホリィ・センさんはゲームマスターでありプレーヤーとしては参加せず、プレーヤーは8人。8人の内訳は、占い師1、霊能者1、騎士1、人狼2、村人3である。私は占い師になり、ゲームを壊してはいけないというプレッシャーで早くも胃がキリキリし始める。

 一日目、私が占い結果を告げると、なんとAさんとBさんの二人も占い師であると宣言した。もちろんAさんとBさんは人狼なのだが、後から分かった所によると、二人の間で意思疎通が上手くできなかったためこのような状況になってしまったらしい。こうなってしまうと、セオリー的に見て「占いローラー*2」一択である。私は一本道の展開になったことに内心安堵しつつ、占いローラーを強く主張した。もちろん、AさんやBさんは人狼であるから、少しでも紛れを出すために、村人や霊能者が占い師を騙っている可能性などを持ち出して攪乱してくる。私は村人が少しでもそれに流されることを恐れ「いやいや、そんなことをするメリットなんて何もないし、セオリー的にありえないし、全く意味が分からない」というような感じでまともに取り合わず、いかに相手が苦し紛れの主張(実際そうなのだが)をしているかを印象付ける作戦を取った。参加者の過半数人狼経験者だったこともあって結果としてこれは成功し、占いローラーは完遂され、無事村サイドの勝利に終わった。

セオリーと楽しさの狭間で

  しかし、試合後に感想を言い合う中で、楽しくゲームをするという観点から見ると私のプレイングはまずかったかもしれないと気付かされた。

 というのも、Aさんが「私の高校ではセオリーなんてそんなに厳しくなかったし、村人や霊能者が占いを騙ることも珍しくなかった。だから、あなたが占いローラー以外有り得ないという前提で話を進めたことに違和感を持った。」という旨の事を述べたからだ。加えて、村人としてゲームに参加していた複素数太郎さんも、「場がめちゃくちゃになった方が楽しいので、セオリー的にありえない騙りもどんどんやることがある。」という旨を述べていた。

 私はこの二人の話を聞いて大きな衝撃を受けた。というのも、「人狼とは、いくつかのセオリーの範囲内で各人が最善手を選んでいき、どれだけ高い精度で役割を遂行するかというゲームである」という私の思い込みがいかに独善的なものか思い知らされたからだ。私の人狼へのアプローチの仕方は数ある楽しみ方の一つに過ぎない。そもそも、全ての参加者がセオリー通り、つまり確率的最善手を選び完璧なロールプレイをこなしきったとしたら、その行き着く先は無味乾燥な単なる運ゲーである。それがどのようなものかはインターネット人狼を見て頂ければ分かると思う。「2-2進行か」「潜伏1」などと専門用語が飛び交い、淡々と進んでいく様はまるで作業のようである。「この中に嘘を付いている奴がいる」または「しれっと嘘を付き続ける」ということが持つ非日常的な緊張感やワクワク感こそが人狼の本来の面白さではなかったか。

 つまりこの二人は、知らず知らずのうちにインターネット人狼の「常識」に凝り固まっていた私に、もっと自由な遊び方をしてもいいのだと教えてくれたのだった。Aさんの場合は、あくまで勝ちを目指しながらも、それは勝率を高めるセオリーに頼ることによってではなく、各人の自由な行動、注意深い観察、鋭い直感によって成し遂げられてはじめて価値があるという考え方を提示してくれたように思う。これはリアル人狼ならではの楽しさを最大限享受するということを目的とするならば極めて合理的なアプローチである。だからこそ、Aさんもその高校時代の仲間も、セオリーが理解できなかったのではなく、あえてセオリーを遠ざけたと見るべきだろう。複素数太郎さんの場合は、そもそも勝利を目指さないという点で、より大胆な価値観と言えるだろう。ネット人狼であればアクセス禁止処分になってもおかしくない。だがリアル人狼では、その人の普段からの人望やキャラクターによっては敗退行為も許されることがある。私が敗退行為をしたら微妙な空気になるだろうが、複素数太郎さんのトリックスター的なキャラクターや人望の厚さを考えれば、仮にめちゃくちゃなプレイングをしたとしても私も含め誰一人不快には思わなかっただろう。つまり複素数太郎さんはゲームの勝敗以前にメタレベルのコミュニケーションで勝利しているのだ。

私はどのようにプレイングすれば良かったのか

 以上のことを考え合わせると、私に求められていた最善のプレイングとは以下のようなものだっただろう。つまり、セオリーを盾にAさんやBさんの主張をただ無意味だと退けるのではなく、きちんと皆で検討した上で論理的に反論する。また、複素数太郎さんのようなトリッキーなプレーヤーがいることも仮定し、色々なパターンをみんなで話し合いつつ、最終的には皆を納得させて占いローラーという自分の考える最善手に誘導し、村サイドを勝利に導くべきだった。

 しかし、私のコミュニケーション能力不足、頭の悪さ、ミスへのトラウマ、5分という時間制限などが重なり、上記のようなプレイングになってしまった。言い訳にはなるが、占い師には村サイドを勝たせる責任があるというプレッシャーも一因だ。私のせいで不快になった方がおられたら本当に申し訳なかったと思う。

ホリィ・センさんのゲームマスターとしての素晴らしさ

  私の無能ぶりとは対照的に、ホリィ・センさんのゲームマスターとしての能力が光った場面があった。第一試合の初日、皆がまだどうしていいか分からず沈黙になった時、「占いなしでランダムに処刑すると村サイドの人を処刑する確率は6/8ですね」とさりげなくヒントを与えたのだ。これが絶妙で、その一言をきっかけに試合は一気に盛り上がった。人狼経験者と初心者が入り混じる試合を皆が楽しめるように取り仕切るのはそう簡単なことではない。私がゲームマスターだったら「初日は占い師が出るのがセオリーです」とプレーヤーを誘導して自発性を奪うようなことを言ってしまうか、あるいは一切ヒントを与えないか、その両極端だと思う。その点ホリィ・センさんは客観的な事実を告げて経験者と初心者の差をさりげなく埋めつつも、その事実をどう解釈してどう行動するかはプレーヤーに委ねることで、ゲームへの介入を必要最小限に留めている。このパターナリズムリバタリアニズムの絶妙なバランス感覚こそがホリィ・センさんの真骨頂であり、カリスマ性の源泉でもあると思う。それがこの一言に象徴的に表れたのだ。やはり凄い人物だと再認識させられた。

*1:ルール等はここでは述べないので各自調べて頂きたい。

*2:占い師を全て処刑すること。

死に直面して思うこと

魔法の終わり

 一月下旬ごろから徐々に生きる気力が失われてきた。私はこれまで下記のツイートのような気持で生きてきた。

 ただ、これは結局のところブロンによって生じた一時的な空元気に過ぎない。生まれてから今までの二十数年間、私が存在するだけで周りにマイナスになるという感覚が常にどこかにあった。どこにいても、自分は場違いな感じがした。象徴的な例としては、私が満員電車に乗ると3・4人分の場所を取る。私に押し込められた周りの人々のうち、ある人は舌打ちをし、ある人は顔を歪める。別に電車に限らず、どこへ行ってもそんな調子だ。たとえ迷惑に思わない人がいても、その人のどんな些細な言動からでもネガティブな意図を勝手に読み取り、「表立って言わないだけで、この人も本当は私が居ない方が良いに違いない」と思ってしまう。だからいつどこにいても「消えたい」という気持ちが拭えなかった。生きていること自体が厚顔無恥だと思った。

 去年の下旬から今年にかけて、多くの人と交流したりブログやツイッターをしたりして、その最中は本当に楽しかった。私は根っからの小心者なので、ブロンでハイになることでようやく人並みの自己表現ができたのだと思う。コミュニケーションの楽しさや、それまで見たこともなかった世界に数多く触れることができ、本当に得難い経験だったと思う。ただ、徐々にブロンに耐性が付き、シラフに戻ってその期間のことを思い出したり読み返したりすると、あまりに恥ずかしくて気が狂いそうになる。と同時に、その期間に関わった全ての方々に「私ごときが調子に乗ってしまい誠に申し訳ございませんでした!」と全方位土下座したくなる。なんのことはない、ブロンやコンサータの効果が切れ、このブログを始める前の卑屈で小心な私に戻っただけのことだ。そして、そうやって人に迷惑を掛け倒しながらも生きてやろうという気力ももはや無くなってしまった。

もう長くない

 そうやって悶々と日々を過ごしていたのだが、ある時はっきりと悟った。死にたいとか死にたくないとかいう以前に、どのみち私はもはやそう長くは生きられないだろう、と。私のような重度障害者はただでさえ寿命が短い。その上私は処方内、処方外問わず日ごとに増加する大量の薬物を飲みながら生きている。おそらくこれは体に著しい負担を掛け、物凄い勢いで寿命を削っているだろう。こんなことが長く続けられる筈は無い。このままだといつかは心臓発作等で死ぬだろう。それが明日か、明後日か、数か月後か、はたまた数年後なのかは分からない。ただ直感として30まで生きるのは厳しく、35はほぼ生きて迎えられない気がする。少なくとも親よりは早く死ぬことになると思う。

 こうして死に直面した時、自分が思いのほか冷静であることに驚いた。恐怖心や絶望感も無いし、逆に使命感や信仰心が急に強まるということもない*1。人は皆死ぬし、それが遅かろうが早かろうが大した違いは無いように思える。

 プラスの心境の変化としては、人生で初めて、「死にたい、消えたい、恥ずかしい」といった気持ちが綺麗さっぱりなくなったこと。どうでも良くなったという方が正確かもしれない。些細な事で一喜一憂したり、怒ったり、不安を感じたりすることもなくなった。どうせ死ぬと思うと大抵のことは受け入れられる。市役所の窓口で怒鳴り散らしているおじいさんなどを見ると、「それだけ歳を取ってまでよく物事に熱く拘れるなあ」と皮肉抜きでそのエネルギーに感心してしまう。

死ぬ前にやりたいこと

 死ぬ前にやりたいことは一杯思い浮かぶだろうと思っていたが、いざ真剣に考えてみると全く無いことに気付いた。「やりたくないことをやらない」というのは実現したいので、仕事を辞める時期を当初の予定より早めるかもしれない。ただ、それはいわば消極的な願望である。積極的にやりたいことというのは驚くほど少ない。

 美味しいものを食べる、セックスをする、世界の名所を訪れる、といったパッと思い付くことにも全く興味が無くなった。思うに、これらは生き続ける前提があってはじめて喚起される欲望ではないだろうか。いざ死ぬとなったら心底興味が無くなってしまった。

 妻子がいる人は少しでも家族との時間を多く取るようにするかもしれない。ただ私には妻子はなく、家族は父母姉のみだ。彼らにも一回ぐらいは会ってお別れの挨拶はしたいが、死ぬまでずっと一緒に居たいかと言われるとそこまでではない。

 ただ、一つ心残りがあるとすれば貯金のことだ。もう少し長いこと生きるつもりだったので結構な額が残っており、これを使い切らずに死ぬのはもったいない。ただ、それを使い果たすことに躍起になったのでは逆に貯金に縛られてしまい本末転倒だ。従って、いくらかは遺して死ぬことになるだろう。今はいつ死んでも良いように遺産配分のための遺言書を書いている。難しいのは、お世話になった人とかお金を受け取るに値する人格者というのは、そんなお金を貰わなくても自力で十分生きていける人が多い。逆にお金に困っていそうだなという人達については、その中にあまりお金をあげたいと思える人がいないという問題がある。その辺のバランスを考えながら遺言書を書くのは、難しいけれども結構楽しい。ただし遺言書に確実に法的効力を持たせたかったら公証役場で書いてもらう必要があり、それにも結構なお金がかかる。世知辛い。

数少ないやりたいこと2つ

①ダブル手帳のテーマソングをラップで誰かに作って欲しい。理由は、ラッパーの多くはセルフボーストのためのテーマ曲を持っていてかっこいいし、それを使えば手短に自己紹介ができて掴みもバッチリだからである。私が生きたという証にもなる。ただ、希望としては私のブログの記事を全部読んで下さった方にやってもらいたいというのがある。相場はよく分からないが、レゲエのダブプレートとかの相場を参考にする限りでは数万円と言ったところだろうか。ラップができる方、ご連絡お待ちしております。

②文フリに「障害」をテーマにした合同誌を出したいという願望がある。既存の障害者運動の文脈に回収されない、新しい発信ができれば結構面白いと思う。これはもしやろうとすれば企画、募集、選別、編集、校正、謝金の支払いなどを全部自分でやらないといけなくなるので相当気合を入れないといけない。おそらく取り掛かれるのは退職後になるだろう。協力して下さるという方がいらっしゃったらご連絡頂ければありがたい。

他の人が死ぬまでにやりたいこと

 自分の参考にしたくて、最近はあらゆる人に「もし余命一ヵ月だったら何がしたいですか」と聞いて回っている。人によって全然価値観が違うので面白い。ある人は「今は家族と暮らしているが、最後の時くらい自分の思い通りにしたいので、一人になるために一人旅をする。」と言った。またある人は、「特別な事は何もせず、仕事も辞めず、最後の瞬間まで普段通り生きる。」と言った。周りに余計な心配を掛けたくないからだという。これも美学を感じて格好良いと思った。皆さんはどうだろうか。是非教えて欲しい。

このブログについて

 誤解の無いように言っておくと、今日明日死ぬとか、自殺するとかいう話では全く無い。従って、このブログもこれまで通りで何も変わらずやっていく。読者の皆様におかれましては、変わらぬご愛顧の程よろしくお願い致します。

*1:もっと死期が近づいたら心境が変化する可能性はあるが。

恩義は債権のように他者に譲渡できるのか

 以前このブログで取り上げたA先生*1にまだ何も恩返しができていなかったなと思い立ち、ささやかながら贈り物をした。それをきっかけにして二言三言、言葉を交わした。

 しばらくして、A先生から住所と電話番号を教えてくれというLINEが来た。良いですけど何に使うのですかと聞くと、私が住む選挙区で自民党から立候補予定の人(以後Bさん。ただし、私はBさんの名前も知らない)に私を紹介したいと仰る。釈然としない気持ちが残ったが、他ならぬA先生の頼みなので断るわけにもいかず、住所と電話番号を教えた。ただし、「その方のためにお力になれることは無いですよ」ということを重々念押ししておいた。

 何故そんな念押しをしたかというと、仮にA先生の頼みであっても、Bさんの選挙運動に駆り出されたり、献金を求められたりしたらたまったものではないからだ。こう言うと恩知らずに聞こえるかもしれないが、私が恩義があるのはA先生に対してであってBさんに対してでは決してない。つまり、A先生本人に関してなら仮に選挙運動に駆り出されたり献金を求められたりしてもある程度従うが、Bさんに対しては何もする気になれないのだ。

 これは恩義というものの属人性、譲渡不可能性をよく表していると思う。この特徴は債権債務とは対照的である。例えば、仮に私がA先生に対して100万円の借金をしているとする。そしてA先生がこの私に対する債権をBさんに売ったとする。そうすると、私は問答無用でBさんに100万円を返さなければならなくなる。そこに感情や疑問を差し挟む余地は無い。ここが決定的に恩義と違うところである。このようにサービスの交換や貸し借りをより効率的かつスムーズに行えるという優位性があるからこそ貨幣経済というものが発達したのだろう。

 ただ、政治家の仕事というのは、その幅広い人脈を活かして通常は交換不可能なものを交換する媒介になることだ。それは票、行政への影響力、各種団体とのコネクション、メンバーシップなどだ。それが政治家というものである。だから私のように恩義を債権と同様に考えない者は政治家にとってはスムーズな物事の進行を滞らせる面倒な邪魔者ということになる。でも私はもう政治家になる気は全く無いから良いのだ。それに、恩義というものに関して私と同じように考える人も少なくないと思う。皆さんは、いかがだろうか。

後日談

 後日談というか、今回のオチ。

 ある日私の住所に一通の選挙ハガキが届いた。それは一面識も無い公明党議員のものだった。一体何故住所を?と疑問に思ったのも束の間、私は全てを理解した。件のBさんというのは、この公明党議員のことだったのだ。A先生は大の公明党嫌いだったはずだが、おそらく何らかの見返りと引き換えに公明党に名簿を売り渡したのだろう。もしそうと分かっていたら私は決して住所や電話番号を提供などしなかっただろうし、A先生もそれを分かっていたからあえてそこを伏せたのだろう。

 確かに、政治は綺麗事ばかりではない。手段を選んでいては生き残れない世界である。だが、少なくとも以前のA先生はこういうことをする人ではなかった。彼に抱いていた尊敬の念は消え去り、後に残ったのは公明党に住所と電話番号を握られたという事実だけだった。