ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)です。

【告知】明日の文学フリマ京都への出展について

 明日の文学フリマ京都に「く-25」のブースで出展します。

 趣向的に冊子でないと意味がない内容ですので、このブログも含め、インターネットへの掲載は一切致しません。

 価格は無料ですが、本当に力を入れて書きましたし、このブログを読んで下さっている皆様であれば必ずやお楽しみ頂ける本になったと自負しております。是非お求め頂けると嬉しいです。

 部数は二十部程度しか用意しておりませんので、もし確実に手に入れたいという方がいらっしゃいましたらお早めにお越しください。

 皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

「ぼっちの会」の挫折

 この記事は、2018年11月の京都大学NF祭で販売された「サークルクラッシュ同好会会誌7号」に寄稿した文章と基本的に同内容である。

 

 本稿では、私が大学時代に「ぼっち」を支援する活動を行った経験について述べる。加えて、サークルクラッシュ同好会(以下サークラ)との比較を通じて、サークラの優位性を明らかにする。

「ぼっちの会」設立までの個人的経緯

 大学入学当初の私はやる気に満ち溢れていた。大学で人脈を作りまくって脱オタしてリア充になるぞ。そこで参加できそうなありとあらゆる集まりに参加した。ところが対人経験の乏しい私はどの集団にも全く馴染めなかった。そもそも、集団では自分がいつ発言して良いのかすら分からなかった。自分が発言することによって会話の流れを止めてしまうことが怖くて、ただ曖昧な笑顔を浮かべて頷いているうちに終わってしまう。周りの人達も何となく私のことを扱いかねている感じがして、いつも消えてしまいたいという思いに駆られていた。重度障害者という見た目が引き起こす心理的バリアや、今から考えると発達障害の影響もあったかもしれない。とにかくそんな状況では何も楽しくないので、自然と集団からは足が遠のき、リア充化計画は早々に放棄することになった。

 私はもう少し馴染みやすそうな環境として、ボードゲームサークルに入った。ここはとても良かった。オタクばかりで馴染みやすかったし、障害のある私にも皆優しかった。だが、私はゲームをうまくプレイできなかった。周囲と同じペースでやろうとするとゲームを壊すような大チョンボを連発し、まともにプレイしようと思うと周囲の三倍ぐらい長考して場の流れを止めた。この原因が私の天性の頭の回転の悪さなのか、マルチタスクができないという発達特性なのか分からないが、とにかく皆に申し訳ないという気持ちばかりが募った。気付けばこのサークルにも行かなくなっていった。

 こうして晴れてぼっちになってしまった私は、一年時の秋、「集団に馴染めずにぼっちになっている人は他にもいるはずだから、ぼっち同士で集まったら良いのではないか?」とヤケクソ的発想に至る。これが「ぼっちの会」設立の経緯である。

活動の元となる思想

ぼっちの定義

 ここでは、ぼっちを「友達が一人以下」と定義する*1。友達が一人では、遊びに行くにしろ頼みごとをするにしろ、その一人の友達に負担が集中する。また、ぼっちのほうでもそのことで遠慮がちになるため、関係が長続きせず、日常生活に支障をきたしやすい。なお、ここでは友達を「二人きりで遊びに行ったり、昼食をとったりできる人間」と定義する。これは、私が集団が非常に苦手で1対1のコミュニケーションしかできなかったことや、1対1の付き合いだけが本物の友達関係だと考えていたことが大いに影響している。

ぼっちになる理由

 大学での人間関係の構築については、サークルが主な役割を担う。裏返せば、サークルに馴染めなかった場合、友達作りは困難を極めることになる。また、一年生の夏休み以降に新しいサークルに入ることは非常に高い心理的ハードルを伴うため、一年時のスタートで躓いた場合、取り返しがつかないことになる。

 では、何故サークルに馴染めないのか。サークルというのは、集団である。メンバーがサークル以外の場所で遊ぶ場合でも、なかなか二人で遊ぶという雰囲気にはならず、集団で遊ぶことが多い。集団から友達を作るためには、まず集団という一つの「生き物」の中でうまくやり、それと並行してメンバー個々人と関係を築いていくという非常に難度の高いマルチタスクをこなさねばならない。ところで、集団でのコミュニケーションと1対1のコミュニケーションでは、要求される能力がかなり違うのではないか。会話に入っていくタイミングが掴めない、声が通らない、話を振ってもらえないといった問題は集団でのコミュニケーションでしか起こり得ない。私のように、1対1なら気後れせずにしゃべれるのに集団ではほとんど喋れないという人は相当数いるのではないか。しかしそういう人であっても、集団に馴染めない以上、1対1の友達関係もできることはない。私も入学直後は積極的に色々な集団に顔を出したが、友達は一人もできなかった。

 また、大学は高校と違い、放っておいたのではぼっち同士が結び付きづらい。これには理由が三つある。第一に、大学では互いに一人前の大人であるという暗黙の了解がある。例えば、ある場所にぼっちが二人いて互いに声を掛けたくても、相手は一人前の大人だと思うと気安く話しかけることができない。第二に、相手の人柄がよくわからない。高校では皆がクラスという同じ場所で過ごすし、発表などで喋る機会も頻繁にあるため相手の人柄を多少なりとも知ることができる。しかし大学ではそのような仕組みがない。第三に、好きで「ぼっち」でいるのかどうかが分からない。高校でぼっちでいると犯罪者のような目で見られるため、ごく一部の例外を除いてぼっちから脱却したいと思う人が大半である。しかし大学ぼっちは世間的な風あたりに限って言えばそこまでつらいものではないため、当然好きでぼっちをやっている人もいる。また、ある場ではぼっちに見えても別の場では全然ぼっちではないかもしれない。もしそういう人達に声を掛けてしまったら迷惑になると思うと、声を掛けづらい。

何を目指すのか

 第一に、ぼっちが1対1で付き合える友達を作れる場とすること。一人、ないしは二人でも1対1で付き合える友達ができれば、それを核として行動の幅は大きく広がる。その関係をてこにして、一人では参加しにくい団体、イベント、集団に飛び込むことでさらに友達を増やしたり、集団アレルギーを克服していくこともできる。そこで傷ついても慰め合えるというのも、人間関係のチャレンジをする上で大きな手助けとなる。また、勉強や単位など実利的な面でも協力の可能性が出てくる。

 第二に、ぼっちである自分を責め、苦しんでいる人が、同じような境遇の人に出会うことで自己肯定感を取り戻してもらうことである。同じぼっちでも、「ぼっちの自分はダメだ」と思っている状態と「ぼっちでも楽しく生きられればいいんだ」と自己肯定できる状態では、後者の方が圧倒的に幸福と言えるだろう。

 活動前期では第一の方向性、活動後期では第二の方向性に力点を置いた。しかし両者は互いに矛盾する方針ではなく、どちらも大事なことだと思っている。両者に共通するのは、「ぼっちをしばいてコミュ力を高めさせる」という方向性は絶対に採らないという意思である。ぼっちを劣位に置いて何かを強制的に押し付けることは絶対にしたくなかった。理由としては第一に、自分自身がぼっちなのでそんなことをされたらとても嫌だし逆効果になってしまうと思ったから。ただでさえ低い参加者の自己肯定感をズタズタにするだけに終わる可能性がある。第二に、「ぼっちが頑張ってコミュ力を高めるべきだ」というアプローチは世の中に溢れており、自分が改めてやる必要性を感じなかったから。もちろん、ぼっちが自ら自己啓発本セミナー等によって自らを変えようとすることは全く否定しない。そういう方向性もあるだろう。だが少なくともそれは人に強制されてやるようなことではないはずだ。私はぼっちが背伸びせずありのままで幸せになれる仕組みを作りたかった。

1対1主義

 集団ではなく1対1でのコミュニケーション、人間関係を非常に重視する。

 上述のように、大学では集団がコミュニケーションの単位となり1対1の付き合いができる場がないことが私のようなぼっちを生み出すと考えていた。そのため、1対1のコミュニケーションができる場、また1対1の友達関係が生まれる場をデザインしたかった。

ぼっち純血主義

 私の活動には、可能な限り私が考える「ぼっち」の定義に当てはまる人、少なくとも友達が少ないという同じ悩みを持つ人だけに参加してもらいたいと考えた。この純血主義の根っこには私の高校時代の経験があった。

 私は高校1年生の時人気者と仲良くなり、その人も非常に良い人であったが、関係は長続きしなかった。この理由は、ぼっちと人気者の温度差にあるのではないか。ぼっちにとってはその人気者との人間関係が全てであり、感情的、時間的リソースを全て注ぎ込むことができる。これに対し人気者にとってのぼっちは、いくら大切に思っていてもワンオブゼムであり、ぼっちのためだけに時間を割くことはできない。従って、ぼっちが人気者を遊びに誘っても応じられなかったり、逆にぼっちを集団に誘うことになる。この温度差は当然ぼっち側にも伝わり、ぼっちの方も段々と遠慮がちになって関係は自然消滅する。

 一方で、内向的性格で、高校時代に私と同じくぼっちだった友達とは、高校3年間のみならず25歳になった今でも付き合いが続いている。

 以上の経験から、当時の私は「ぼっちはぼっちとしか友達にはなれない」という固い信念を持っていた。互いの持つ人間関係の総量が違い過ぎる者同士は、安定した友達関係を築けないのだ。

設立までの動きと活動の形態

 私が最初に構想したのは、友達版出会い系サイトのようなものを作ることだった。運営者側は登録者がその大学の学生であることやぼっちであることを担保し、場所を決めて引き合わせる。できれば趣味、学部、出身地なども聞いて最適なマッチングを行う。今から考えるとSNSを使えば個人でもそのようなことはいくらでも可能だったのかもしれないが、当時の私はSNSはぼっちが使うにはハードルが高いものだと考えていた。そこで、もっと自動的かつ制度的にぼっち同士を引き合わせる仕組みが必要だと思った。

 とはいえ、個人でそんな活動をしても怪し過ぎて誰も近寄らないだろう。カルト団体と思われるのがオチだ。そこで、大学のお墨付きを得て大学主催の活動として行えば信用力を得られると考え、色々な学生の活動を支援しているT先生に話を持ち掛けた。私は、ぼっちを苦にして休学したりカルト団体に入る事例がいかに多いか、そういった事を未然防止する活動がいかに大学に大きな利益をもたらすかを力説した。T先生の回答は「流石に出会い系のようなことを大学の名で行うことはできないが、趣旨自体には賛同するので別な活動なら大学の名の下に行ってよい。責任は私が取る。」という、非常に寛大なものであった。こうして、大学主催で活動していくという一つの基本方針が固まった。このことはその後の活動を良くも悪くも規定していくことになる。

活動前期(ボードゲーム

 友達版出会い系という構想が早々に封じられてしまったため、何か代替案を出さなければならなかった。そこで、ボードゲームサークルにいた経験を活かし、ガイスターという二人対戦ゲームをたくさん並べて遊んでもらう会を開くことにした。二人対戦ゲームというところがミソである。これならば自然と1対1でコミュニケーションする状況に持ち込めると思ったからである。大学の全面的なバックアップを得た私は、全学一斉メールという強力な宣伝手段を使うことができた。そのおかげで毎回参加者集めには殆ど苦労しなかった。

 この時期苦慮していたのは、ぼっち色をどの程度前面に出すかということだった。ただ単に「ボードゲームをする会です。」と告知すれば、ぼっちとは関係ないボードゲーム好きばかりが集まってしまい、本来目的とする層にリーチできない。かと言って正面から「ぼっちのための会です。」と告知すれば、「会に行くこと」=「ぼっちというスティグマを背負う行為」になり、行きづらい。当時の告知文書を読み返してみると、このジレンマの間で苦心していた形跡が伺える。例えば、「複数名での参加はご遠慮ください。」などと注意書きをしてある。これは、友達連れの集団の存在がぼっちに心理的圧迫を加えることを防ぎ、会場では一時的に皆を対等なぼっちにすることで、相対的にぼっちが居やすい環境にすることを志向して書き加えた文章であった。

 さて、実際に参加者としてぼっちを集められたのかについては、何とも言い難い。注意書きにも関わらず友達連れで参加する人や、単にボードゲームが好きで来たいわゆる「リア充」のような人が多かったのは事実である。一方で、明らかにぼっちっぽい学生も一定数来てくれていた。従って、このままボードゲーム会を長く続けていくことで、ぼっちも含めた幅広い層に居場所を提供していくという道も今から考えると十分あり得た。にも関わらず、当時の私はこのボードゲーム会を「失敗」と総括し、数回で開催を打ち切った。

 理由は二つある。一つ目は「ぼっちのための活動なのだから、とにかくぼっちだけを抽出して集めなければならない。」というぼっち純血主義である。この考え方のせいで「幅広い層が集まる中でその中に結果として一定割合のぼっちが含まれれば良い。」というような柔軟な発想ができなかった。二つ目は、結果を焦ったこと。よく考えれば、一回や二回ボードゲームで対戦したぐらいですぐに仲良くなって連絡先を交換したりするわけがない。長期間定期開催を続けていく中で、徐々に安心できる居場所として認識されていき、参加者の中に少しずつ顔見知りが増えていき、徐々に互いに言葉を交わすようになり、次第に意気投合し…という段階的なプロセスが必要である。ところが当時の私は「ボードゲームをするのが自己目的化して参加者間の活発なコミュニケーションや連絡先交換に繋がっていない。よって無意味である。」と性急に結論付けてしまった。

活動後期(自助グループ、多目的沈黙室)

 ボードゲーム会が行き詰まっていた頃、新しく活動を手伝ってくれるようになった女性から「自助グループをやってはどうか。」と提案を受けた。その人によれば、自助グループという活動形式は元々アルコール依存症者の家族や友人が集まる当事者会で行われてきたものらしく、それをぼっちにも応用しようということになった。ボードゲーム会の時の反省から、よりぼっち純血主義を推し進める意図を込め、イベント名は直球で「ぼっちの会」と表に出していくことにした。そこで以下のような内容を数回にわたって開催した。

  •  友達がいないと感じる辛さを抱えている人が孤独感について話す会である。
  •  円になって座り、一人ずつ均等に時間を割り振り、時間内で好きなだけ好きなことを話す。聞いた内容は会の外では口外禁止。
  •  参加者は言うだけ・聞くだけである。互いにコメントはしない。

 こうしてみると、最近流行りの当事者研究に極めて近い形式を持っていることが分かる。違いと言えば、互いの発言に対してコメントせず、「言いっぱなし・聞きっぱなし」が是とされていることぐらいだろうか。これは、攻撃や批判に晒されず安心して発言ができることをより重視しているためと思われる。

 この自助グループ形式の会は概ね好評であった。ぼっちが一同に会することによって「ぼっちは自分だけではないんだ。」と思えるというだけでも、参加者にとってはとても心が軽くなる体験であるようだった。参加者からの感謝の言葉をたくさん貰い、この自助グループはもっと続けていきたいと強く思った。

 この時期に取り組んだもう一つの活動として「多目的沈黙室」がある。これは昼休み中、一教室を借り「食事、勉強、読書など自由に使ってよいが、私語だけは禁止」の部屋として開放するものである。この活動の目的は「ぼっち飯と便所飯の廃絶」である。 ここで、ぼっちの立場からぼっち飯というものについて考えたい。そもそもぼっち飯は何故辛いのだろうか。それは「一人で昼食をとらなければならないから」ではなく「一人で昼食をとっている状態を多くの人に見られることで『あいつは一緒に昼食をとる相手も居ない駄目な人間だ』と思われるのではないか、と不安になるから」である。だからこそ、多くのぼっちは人目を避けわざわざ便所という不衛生な場所で食事をとるのである。ならば全ての人が黙々と自分の好きなことをしている部屋があれば、その中で一人で昼食をとっても浮かず、スティグマを感じなくて済むのではないか?と考えて作ったのが多目的沈黙室であった。しかしこの試みは参加者数の面からも実際の部屋の騒がしさの面からも惨憺たる結果に終わった。失敗の要因としては広報不足や趣旨が理解されづらかったことなどが考えられる。

後継者問題、大学との溝、そして自然消滅

 大学3年時になると、私も就活や公務員試験対策などで忙しくなり、「ぼっちの会」に割く時間の長さを負担に感じ始めた。いずれにしても、私が卒業するまでに何としても後継者を見つけなければならない。そこで約半年にわたって手当たり次第にビラを配りまくったが、後継者はとうとう現れなかった。

 焦った私は、「ぼっちの会」を大学の責任で永続的に運営できないか交渉した。今までは大学主催の活動と言っても実際に運営を取り仕切っていたのは私であった。それを、これからは大学の人的リソースと予算を割いて制度的に存続させてくれというお願いである。当然ながらそんな都合の良い要求が通るわけがなかった。さらに悪いことに、「ぼっちの会」に多大な協力をして下さっていたT先生が他大に移ってしまっていたため、大学の態度は硬化する一方であった。具体的に言えば、T先生が居た頃には簡単に認められていた全学一斉メールによるイベント告知、会場の提供、大学が後援している旨の記載といった事すら徐々に認められなくなっていった。こうしてあらゆる手立てを失い疲弊しきった私は、結局「ぼっちの会」を自然消滅させるしかなくなったのだった。

失敗要因の考察

 ぼっちのための活動が失敗した要因として考えられるものをいくつか挙げてみたい。

  1. ぼっち純血主義…まず、「ぼっちはぼっちとしか仲良くなれない。故に参加者には純粋なぼっちだけを集めなければならない。」という考え方がそもそもの間違いである。確かに高校のように閉鎖的で巨大な1つの「場」しかない環境においては、前述したように友達数が同じくらいの者同士しか友達になりにくい傾向はある。その結果友達数をもとにしたスクールカーストができあがる。しかし大学や社会には無数の「場」がある。講義ごとのクラス、ゼミ、無数のサークル、地域団体、ボランティア団体、バイト先、ネット上の繋がり…etc。これらにそれぞれどの程度コミットしてそこでどのような役割を担うか、自在に調整することができる。ある場ではリーダー、ある場では普通の人、ある場では孤独というようなことも当然有り得るだろう。従って、「ぼっち」や「人気者」といった高校までの一元的な枠組みを大学以降の人間関係に適用すること自体がナンセンスであると言える。にも関わらず、「ぼっち問題」で多くの大学生が苦しんでいるとすれば、それは何故なのか?大事なのはその問いを深く掘り下げ、「ぼっち」という言葉によって、コミュニケーションや対人関係に困難を抱える多様な人々を包摂する事であって、「ぼっち」の客観的な定義を考えることではない。「ぼっち」とはそもそも主観的な自認に基づく概念であり、正確な定義などできないからだ。もちろん、「純粋なぼっち」などという概念がいかに馬鹿げているかは言うまでもないだろう。ところが、一度「純粋なぼっち」という概念に憑りつかれると、自分の中の基準に合わない者を「ファッションぼっち」として排除していくことになる。こうした原理主義的な先鋭化は活動の広がりを自分から潰し、袋小路に追いやる愚行である。
  2. 後継者の不在…「ぼっちの会」の直接的な消滅原因は後継者の不在であった。では何故そのような事態に陥ったのだろうか。端的に言えば、「団体の運営に関心を持つ(またその能力を持つ)層」と「ぼっち問題に関心を持つ層」が全く被っていなかったからだろう。団体を運営できるようなコミュニケーション能力のある人なら、「ぼっちの会」などという暗そうな団体よりも、もっと楽しそうだったり就活でアピールできたりする活動に心惹かれるだろう。私自身、「ぼっちの会」の運営は楽しさより苦痛の方が圧倒的に大きかったし、就活でも全く評価されなかった。逆に、「ぼっち問題に関心を持つ層」は「ぼっち」を自認する人が殆どであり、そんな自分が団体を運営するなど想像もできないということなのかもしれない。
  3. 大学への依存…Twitterで同時期に流行した多くのいわゆる「ぼっちサークル」とは異なり、私は一貫して大学の名前と権威を利用しつつ活動してきた。これには告知手段として全学一斉メールが使える、怪しい活動と思われずに済む、などの多くのメリットがあった。一方で、同じくらい多くのデメリットがあった。まず、大学の公的な活動として行う以上、当初構想した友達版出会い系のような過激な活動や、参加者が見込めない実験的なイベント、SNSを利用したふざけた宣伝などは当然できない。宗教や政治系のカルト団体が入り込んでこないかといったことにも必要以上に神経質にならざるを得ない*2つまり、大学の後ろ盾を得るということは、大学として責任を取れないと判断されたことは全て禁止されるということでもある。もう一つのデメリットとしては、活動の安定性が大学に左右されることが挙げられる。私の場合、最大の理解者であったT先生が他大に移り、全く理解の無い人が後任になったため、活動の前提にしていた大学からの支援がほぼゼロになってしまった。学生活動を支援するためのリソースは多くの大学で削減されていく傾向にあると考えられる。従って、これから大学をあてにした活動を始めようとする人は、急に大学に梯子を外されるリスクも計算に入れておいた方が良いだろう。
  4. 失敗要因という論点からは若干外れるが、私の活動の根本的な問題として、そもそも大学に来られなくなってしまった学生にはリーチできないという点が挙げられる。これは、「ぼっち問題」で深刻に悩んでいる人ほど大学に行けなくなる傾向とあわせて考えれば、最もリーチすべき人にリーチできないという活動の大きな欠陥を示唆している。この巨大な矛盾については当時から常に意識していたが、私ごときの力ではどうにもできないのが現実であった。

サークラはいかにして上記の問題を克服したか

 私が行った活動とサークラの比較に入る前に、一旦立ち止まって言葉を整理しておきたい。

 私は本稿の冒頭でまず「ぼっち」という言葉を定義したが、これは活動を開始した大学1年時に決めた定義である。ここまでお読み頂いた方はお分かりのように、私は「ぼっち」という言葉に強く拘りつつも、その言葉が示す対象は活動していくうちに拡散し曖昧になっていかざるを得なかった。

 そこで、用語の混乱を避けるため「ぼっち」という語からは一旦離れ、私が活動の対象としてきた人達(ここには私自身も含む)に共通する性質を仮に「A」とし、以下のように定義したい。

 A…「コミュニケーション能力が低い」と周りから認識されている、または自らをそのように認識しているために、対人関係において困難や苦手意識を抱えている。適切な支援や環境無しでは集団に馴染んだり友達を作ったりすることが難しく、孤立しやすい。友達は居ないか非常に少ないと感じており、孤独感を抱え込みやすい。

 前置きが長くなったが、用語を定義したところでいよいよ比較に入りたい。サークラは扱うテーマも活動内容も幅広い多面的なサークルである。しかしここでは私の行った活動と比較するためにサークラを「Aの人を包摂するサークル」としての側面から捉えたい。その上で、サークラが前項で挙げた私の失敗要因4つをどのように克服し得ているのかを見ていきたい。なお、私はサークラの幽霊会員であるため以下の考察が実態と乖離している可能性もあるが、何卒ご容赦願いたい。

  1. サークラにはAの人も多く在籍している。しかし私の活動と違い、Aの人だけを選択的に集めようとしているのではない。「サークルクラッシュ」というテーマに惹かれて集まってくる多様な人達の中にかなりの割合でAの人が混じっており、結果的にサークラがAの人達にとっての居場所にもなっているということに過ぎない。つまりそもそもの設計思想が異なっているのだ。では、集団やコミュニケーションが苦手なAの人が、非Aの人も多いサークラという集団内でうまくやっていけるのは何故なのだろうか。それは非Aの人がAの人のペースに配慮して無理に合わせているからではない。そもそもAの人がサークラ内で劣位に置かれないようにする優れた仕組みをいくつも持っているからだ。まず第一に、サークラ内においてはAを必ずしも負い目に感じる必要はなく、むしろそれは長所に変わりうる。これについてはサークラ会誌三号のべとりん氏の優れた考察をそのまま引用させて頂く*3。 (サークルクラッシュという)『究極の事態すら肯定されている空間ならば、少なくとも、自分の意識としては、自分の言動が人間関係を壊すことを心配する必要はないのだ。また、このようなサークルクラッシュ肯定の空気作りは、本人の自意識の改善にも役立つ。今まで、長期的な人間関係を作るのが苦手で、それが悩みだった人でも、「サークルクラッシュ同好会」という場では、その特徴こそが長所になるのである。それはサークルクラッシュ研究の貴重な資料になるし、サークルクラッシュにも役立つ。その空間が持つ空気(価値観)の影響を受けて、自分に対する捉え方(=自意識)が変わるのである。』 サークルクラッシュという否定的な概念を肯定してみせることで全ての価値観を転倒させ多様な人々を包摂する手つきは見事としか言いようがない。第二に、サークラの例会における活動内容は当事者研究や読書会、即興劇などによって構成されている。私は参加したことが無いので詳しくは分からないが、これらの活動に共通するのは「決まった目的が与えられ、発言の機会もある程度均等になるようにデザインされている」ことだと考えられる。発言すべき内容と機会を与えられることで、雑談が苦手で自分から発言しづらい人もある程度喋れるように配慮されているのだ。第三に、会誌の存在がいわゆる「コミュ力」とは全く別の価値尺度を持ち込んでいる。万が一例会やパーティーにはうまく馴染めなくとも、文章を書くという全く別な方法で承認と居場所を得ることができる。一回も例会に出たことが無い私の文章が会誌に載っていることがその証拠だろう。これら三つの要因がうまく噛み合い、「コミュ力」によって人間が序列化されることがない極めて特殊な空間を生み出しているのではないだろうか。
  2. サークルが存続していくためには、サークルを運営できるだけの「コミュ力」のある人材が不可欠である。私の活動はAの人のみを選択的に対象としていたため、「コミュ力」のある人材を取り込むことができずに終わってしまった。サークラでは「コミュ力」によって人間が序列化されないと書いたが、それは「コミュ力」がある人がいないとか、「コミュ力」が無価値になるということではない。むしろ「コミュ力」がサークラに所属し続けるための「必要条件」ではないからこそ、それを備えた人物は将来的に運営を担える貴重な人的資源として大いに評価されるのではないだろうか。後継者問題は全てのサークルにとって永遠のテーマだが、今年で7年目となるサークラが20年後、30年後も存続している可能性はかなり高いと考える。
  3. サークラの強みは大学に依存していないことである。例えば会誌一号における幸福の科学の信者の方へのインタビューや、会誌五・五号における「自傷家座談会」などは、大学の管理下では絶対に許可が下りない内容だろう。危険や揉め事、宗教・政治組織の関与をいかに未然に排除するかばかり考えていた私とは対照的である。もちろん、サークラのように誰に対してもオープンな組織には、本当に危険な団体・人物が入り込んでくることもあるだろう。揉め事も絶えないかもしれない。だからと言って管理主義的になるのではなく、むしろより自由に、より積極的に外部に対して開いていき風通しを良くすることで、全体としては安全な秩序が保たれるというのがサークラの考え方と言えそうだ。だからこそ多様な人々の居場所たり得ているのだろう。
  4. サークラの活動範囲は大学内にとどまらない。インターネット上やシェアハウスも活動の舞台とすることで、私がリーチできなかった大学に来ない学生にもリーチできる。特にシェアハウスを数多く保有していることは、どの大学の学生支援窓口でも成し得なかった支援の在り方を可能にしていると考えられる。

おわりに―「ぼっちサークル」の今後の展望―

 私の活動も含め、全国の大学に同時多発的に生まれた「ぼっちサークル」の多くが現在休眠状態となっている。「ぼっちサークル」とはもはや可能性の無い、終わったムーブメントなのだろうか。私は全くそうは思わない。現状を打開する鍵は、前出のべとりん氏が提唱する「当事者研究」にあると考える。

 私が活動の中で学んだことは、一口に「ぼっち」と言っても、「ぼっち」になる理由も、性格も、価値観も、コミュニケーション上の困難も、抱える人間関係も、一人として同じ人はいないということである。本当に多種多様な「ぼっち」がいるのだ。その互いの違いについて語り合うだけでも、相当面白い活動になるはずである。「ぼっち」はその言葉のインパクトの強さに比してまだまだ研究の蓄積が進んでいない分野である。つまりそれだけ開拓の余地が残されている。これから全国各地で「ぼっちサークル」が復活し、そこで多くの研究成果が生まれることに大いに期待している。そして大学生活の大部分を「ぼっちの会」に捧げた者として、一人でも多くの「ぼっち」が自らの居場所を見つけられることを願ってやまない。

*1:もっとも、この定義は後々曖昧になっていったのだが。

*2:実際、参加者が宗教の勧誘をし始めた時は大変なことになった。

*3:べとりん, 2014,「Twitterサークルについての考察(サークラ同好会バージョン)」サークラ会誌三号, p.31

700円のクリスマスケーキ

 「うちは寺だからクリスマスは無い。サンタも来ないよ。」と言われて育った。

 そのためだろうか、クリスマスというものを自分の中にうまく位置づけられないまま、気付けば大人になっていた。周りを見渡すと、多くの人々にとってクリスマスというのは一大事であるらしかった。クリスマスまでに恋人を作らなければと必死になる人達。己の幸せさをこれでもかとアピールする人達。「リア充爆発しろ」と借り物のルサンチマンで吹き上がる人達。どこかで聞いたような非モテ自虐ネタばかりの大喜利で盛り上がる人達。私はそれら全てに対して何の感情も持てなかった。寂しさとも違う、全くの無。各々のポジションで楽しそうに踊り続ける人達を横目に見ながら、私の12月24日、25日は毎年何の余韻も残さず足早に通り過ぎて行くのが常だった。

 今年、ふとしたことから、クリスマスの後には余ったケーキが大幅に値引きして売られることがあると知った。私はクリスマスには興味を持てずとも食欲には忠実な人間である。そこでいくつかのスーパーやコンビニを回り「ケーキ割引になってたりしないですか?」と聞いて回った。なかなか見つけることができず諦めかけた時、数軒目のスーパーにそれはあった。苺も乗った生クリームの立派なホールケーキが、700円という嘘みたいな値段で売られていたのだ。

 そのホールケーキは一人で食べるにはあまりに大きかったため、25日と26日の二日に分けて半分ずつ食べた。信じられないほどおいしかった。私はケーキを食べながら考えた。このケーキは本来私の口に入るために作られたのではない。幸せな家族やカップルの口に入るために作られたのだ。それが市場原理のいたずらによって売れ残り、こうして私の元へ格安でやって来たのだった。私はそのケーキに親近感と愛着を覚えた。

 思えば私がこうして格安でおいしいケーキを食べられるのも、クリスマスというイベントがあったからこそなのだ。そう思うと案外クリスマスも悪いものではない。クリスマスや社会のことは何も分からないし、これからもおそらく一生分からないだろうが、こうしてその恩恵に与ることはできる。気まぐれに700円でホールケーキを食べさせてくれることもあるのだ。その時、この世界が急に愛おしく感じられた。そしてこの世界に生きる全ての人達の幸せを心から祈った。

 色々な理由でクリスマスが好きではない人達も、クリスマスを嫌いになる必要は無い。12月24日を何食わぬ顔でやり過ごして、25日の夜になったら急いで半額のホールケーキを買いに走ろう。こういう機会でもなければホールケーキを買うことなどないのだから。そして心ゆくまで味わいつくしたら、少しだけ世界とうまく折り合えるようになっているかもしれない。

障害者から見た「感動ポルノ」について

 本稿では、障害者を「感動ポルノ」として消費することへの批判、及びそれに対する反論について検討したい。

「感動ポルノ」とは何か

 まずはじめに、「感動ポルノ」とは何だろうか。現在ではその定義も拡散しているが、本稿ではこの言葉が人口に膾炙するきっかけとなった下記のスピーチに準拠したい。

www.ted.com

 ステラ・ヤング氏は感動ポルノを「障害者をモノ扱いし、健常者が感動したりやる気を起こしたりするために利用すること」と定義する。そして「障害者が特別視されるのではなく真の成果で評価される世界」を望む。

 私の見解

 結論から先に言うと、このスピーチに対する私の意見は「基本的に賛同できないが、一部もっともな部分もある」というものである。その理由を下記に列挙したい。

 第一に、他者が自分をどのように消費するかは他者の問題であって、自分ではコントロールできないし、すべきでもないし、する必要も無いからだ。それは健常者であっても障害者であっても同じである。自分の思っているセルフイメージの通りに他者が自分を認識してくれるなどということはまずありえない。多かれ少なかれ、他者というのは自分が思ってもいないような文脈・物語を勝手に読み取り、それに基づいた独善的な解釈・評価を下してくるものだ。もちろん私も他者に対して同じことをしているのだろうし、そういうことが起こるのは互いに違う人間なのだから当たり前だ。実際、私もよく何もしてないのに街で見知らぬ人から「偉いなあ」「頑張ってるね」「感動した」などと言われることがあるが、そう思うのはその人達の勝手なので別に腹は立たない。理由がなんであれその人達の中にプラスの感情が生まれたなら良かったねと思うし、私の方は他人がどう思おうが関係なく好きなようにやっていくだけである。

 ただし一つ付け加えておくと、上記スピーチに出てきた高校生のように、「いついかなる場面でもその人を『感動の対象としての障害者』として『しか』見ない」という態度は確かに問題である。例えば障害者である私のこのブログには障害関連以外の記事も載せているが、そこで脈絡なく障害についてコメントされたら流石に面食らう。また、同じ障害についての記事でも、自分の体験を語っているものと抽象的な概念について考察しているものがあり、後者の記事に「感動して泣きました」などとコメントされたら的外れだとは感じるだろう。ただそれは、「相手が今どういう立場で何についてどのような話をしているのかをきちんと判断しましょう」、言い換えればTPOを弁えようというだけの話であって、障害者を見て感動してはいけないということでは全くない。これについては以下のスピーチが大変参考になる。

www.ted.com

 

 第二に、彼女の言うように障害者を特別視せず「真の成果」なるもので評価される世界になれば、かえって障害者の努力が過小評価されてしまうからである。彼女が「真の成果」をどのように定義しているのかは分からないが、普通に考えれば健常者と同じ物差しということだろう。つまり仕事の実績とか学歴などである。そのような尺度で健常者と競争できるのは彼女のようなごく少数のエリートであって、大多数の障害者には不利である。気になった人は障害者の大学進学率や一般就労率を調べてみて欲しい。というよりむしろ、そういった社会的な不利さを抱えている集団だからこそ「障害者」とカテゴライズされているわけで、全く社会的に不利に働かない形質ならわざわざ「障害」とは呼ばれないのだから、当然と言えば当然である*1。今まで立つことができなかった脳性麻痺者が数秒間だけつかまり立ちができるようになったとか、今まで一言も発したことがなかった知的障害者が初めて単語を発したとかいうのは、社会的に見れば「真の成果」ではないのかもしれないが、ノーベル賞を取るのと同じくらいすごいことだし、感動や賞賛の対象になってしかるべき達成だと思う。殆どの障害者が多かれ少なかれそういう達成の積み重ねの上に自分なりの生活を築いていることを思えば、彼女が批判する「障害を持って生活するだけで立派だ」という考え方も決して間違いとは言い切れない。

 彼女は15歳の時に何の功績も無いのに表彰されそうになって面食らったと語っているが、私にも似たような経験がある。高校卒業間際に、学年で一番優れた生徒として全校集会で表彰されることになったのである。確かに私は学業成績は良い方だったし、作文や数学コンクールなどで賞を取ったこともあった。だが学年には東大に合格していた者、部活動で全国レベルの活躍をした者、生徒会長を務めた者など、他にも優れた人間はたくさんいたし、その人達の方が表彰されるに相応しいという見方も当然ありうる。その中で私が選ばれたのは、やはり障害者であることが大きかっただろう。それを理解してなお、私は表彰されることに対して何の恥じらいも感じなかった。何故なら、障害が原因で多くの余分な苦労を強いられてきたし、そのハンデを克服するために目に見えないところで人の何倍も努力してきたという自負があったからである。例えば、私は上半身の麻痺のため書くのが遅い。そのため同じ試験時間内で終わらせようと思えば他の人より素早く問題を解けるよう努力するしかない。また、一人で排泄できるようになって高校に進学するために、幾度となくうんこを漏らして泣きながらも血の滲むような努力をしてきたこと。それら諸々について他の人は知らないだろうが、間違いなく私が成し遂げてきたことであり、表彰されるに値することだと胸を張って言える。だから私を選んでくれた人には何の屈託もなく素直にありがとうと言いたい。

 第三に、感動ポルノは福祉予算や募金を獲得する必要性から生まれた側面を否定できないからである。世の中には困っているマイノリティが障害者以外にもたくさんいる。また海外には貧困や環境問題が蔓延している。それら全ての社会問題に無条件で十分なお金が行き渡り、全ての人の権利が十分に保障されれば何も言うことは無いが、現実には不可能である。予算には制約があるし、人々も無限に募金するわけではないからだ。そうなると、必然的に人々のお金や関心というリソースを他のマイノリティや社会問題と奪い合うことになる。その中で、より単純で訴求力の高い、感動的な物語を提示できれば有利になる。結果的に障害者に対していびつなイメージが形成されてしまったとしても、それは必要悪だと思う。もちろんそんなものを差し出さなくても対等になれる世界が理想だが、その時には障害者という言葉も無くなっているだろう。

二項対立を越えて

 障害者としてではなく普通の対等な人間として扱ってくれと主張する障害者には数多く会ってきた。それ自体はもっともな主張なのだが、だいたいそういう障害者に限って障害を持っていること以外に何ら特長もアイデンティティも無かったりする。それもそのはずで、仮に障害者であること以外に何か取り柄があれば、殆どの人は普通の対等な人間として接するからだ。そうなっていないのはその障害者が障害以外に何ら特筆すべきものを持っていないからに過ぎない。別にそれが悪いことだとは全く思わないが、どうしても嫌だというのであれば健常者の何倍も努力して他人に誇れるものを見つけるしかない。

 私はといえば、第一印象で「障害者だ」と思われることについて何の拒否感も無い。私の最も目に付く特徴であるし、障害者であることは私のアイデンティティの大事な一部だからだ。と同時に、それだけで終わるつもりも毛頭ない。障害者であること以外にも様々な面を見せられるような、引き出しの多い人間でありたいと思っている。

 また、普通の対等な人間として健常者と同じ基準で評価して欲しいなどとも全く思わない。その厳しさをよく知っているし、障害者だけが健常者の何倍もの努力を要求されるのはフェアではないと考えるからだ。だから障害によって履かせてもらえる下駄は全部履くし、同情を買って得をするなら迷わず買うし、もらえるお金は全部もらうし、障害者枠があれば必ず使う。それらは正当な権利であり、利用できるものは利用する、そのことにいささかの躊躇も無い。と同時に、それだけに甘んじるつもりも毛頭ない。出来得る限りの努力は常にしていく。それは健常者と競うためではない。私が私らしくあるためだ。

雑なまとめ(率直な感情)

感動ポルノがどうとか健常者障害者がどうとかごちゃごちゃうるせーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!俺の人生でお前らを全員感動させるからよく見ておけ!!www!!!wwww!!w!!wwww!!

*1:彼女も「障害の社会モデル」に言及しているように、眼鏡をかけているだけの人が「障害者」と見做されないことを考えてもらえれば分かりやすい。

影の主役としての「一見さん」 ーサークラをサークラたらしめるものー

 12/13(木)に京都大学サークルクラッシュ同好会(以下サークラ)の定例会に初めて参加した。その感想について二回に分けて記す。前編となる本記事では、例会の居心地の良い雰囲気がいかにして生み出されているかについて考察する。

絶妙な居心地の良さ

 まず、活動が始まる前の雰囲気が良い。過度な馴れ合いを強要するような空気が一切無い。各々がスマホを触ったり、勉強したり、体を動かしたり、友達と話したりして思い思いに過ごしている。かといって暗いとかよそよそしいというわけでもない。誰かが部屋に入って来たり、顔見知りを見つけると互いに軽く会釈をしている。丁度良い距離感である。逆説的だが、こういう押しつけがましさの無い空間だと、かえって皆への愛着が湧き、仲良くしたいという気持ちになる。私はかぷりす氏(@caprice1026)と軽く話した後、複素数太郎氏(@Fukuso_Sutaro)に挨拶に行った*1

 活動内容については後編に譲るが、分かりやすく言うと「身体と言葉を使ったコミュニケーションゲーム」であり、私にとっては最も鬼門と言える内容である。ところが、その場の空気がとても良いため、全く苦にならないどころか素直に楽しめた。空気の良さというのを具体的に言うと、まず何かしらのノリや行為を強要されることが無い。「苦しくなったらやらなくてもいい」という旨が明言されているだけでなく、やらなくても悪い空気にはならないだろうなという安心感が実際にあった。また、常連が偉ぶることなく、新参や初見の人にも可能な限り均等に活躍の場を与えつつ、ここぞという場面では力強く引っ張るというバランスも絶妙だった。

最高の空気感は誰が作っているのか

 このような素晴らしい場を作っているのは、もちろん一義的には中心メンバーを含めた常連会員である。つまり、現会長かしぱん氏(@pankashi)及びその日の主催であった創始者ホリィ・セン氏(@holysen)による見事な進行や、複素数太郎氏の愉快な盛り上げのおかげであることは言うまでもない。しかしあえて私は、それら諸々を構造的に可能たらしめている重要な存在に着目したい。それはいわゆる「一見さん」である。

 ここで、サークラの例会に来る人を下記のように三種類に分類する。

①中心メンバーを含めた常連の会員。例会に頻繁に参加し、サークラの中核を担う。ホリィ・セン氏がよく言う「LINEグループは見かけ上大きいけど実際にコミットしているのは20~30人だから……」というフレーズの「20~30人」の部分である。

②コミットが中程度のシンパ層。ごくたまにしか例会に参加しない人、あるいは①のうち幾人かと個人的な結び付きが元々あるものの例会には初めて来たという人など。ちなみに私は会誌やアドベントカレンダーに寄稿した経験や、ホリィ・セン氏及びかぷりす氏との面識があったものの、例会はこの日が初参加であったため、この層に含まれるだろう。

③今まで何らコミットが無く、会員との個人的面識も殆ど無い状態で初めて例会に参加する層。いわゆる「一見さん」である。以前の私のようにグループラインに形だけ参加している場合もあれば、全くの非会員である場合もある。その後②や①に転ずる人もいるものの、その多くは一回参加したきりで以後は一切サークラとの関わりを持たない。

 サークラの例会はこのうち③の割合が他サークルと比べてかなり高いと思われる。それは偶然ではなく、「会員でなくても参加大歓迎」という旨を積極的に告知したり、例会の初めには必ず自己紹介を組み込むなど、意識的に③を取り込むような施策を打っている結果だろう。では何故そうするのか。それは、③の「一見さん」こそが、サークラサークラたらしめる上で最も重要な役割を果たす存在であるからだと考えられる。その役割とは、端的に言うと「外部からの視線を持ち込む」ことである。これは①にも②にもできない役割である。私が例会の中で感じた、「一見さん」が場にもたらす具体的な好影響は以下の三つである。

 第一に、常連による内輪ノリ、馴れ合いに対する抑止力となることである。外部からの視線を意識しない集団というのは放っておくとどんどん内向きになっていき、内輪ノリ、内輪ネタ、ジャーゴン自家中毒になり、それらへの適合度合いによって構成員を序列化したり、同調圧力をかけるための道具として使ったりするようになってしまう。そうなると集団は腐敗し、どんどん窮屈になっていく。しかし常に「一見さん」が一定数居るような環境では、その人達を置いてけぼりにせず楽しませようと思えば自然と内輪ノリは控えざるを得ない。

 第二に、内紛の緩衝材となることである。常連同士は接触機会も多いので、そのぶん対立も起こりやすい。実際私は、その日の例会の参加者のうちの二人が互いに対立している旨を事前に聞かされていた。確かに、例会が始まる前は二人が会話することは無かった。ところがいざ例会が始まってみると、二人は極めて自然に会話を交わし、互いにリスペクトを持っているように見えた。まるで対立など無いかのようであった。何故そのようなことが可能だったのだろうか。それは、全く事情を知らない「一見さん」が居たからである。通常、何も知らない人の前で大っぴらに険悪なムードを醸すことは大人げないことだと考えられている。そのコンセンサスをある意味「口実」にして、二人は互いに一定程度歩み寄り、対立をこれ以上はエスカレートさせないでおこうという暗黙の合意を取り結ぶことができるのである。これは私がアドベントカレンダーで提唱した*2「対立を積極的にネタ化して外部に発信する」というアプローチとは真逆の発想であったため、大変興味深く感じた。

 第三に、カースト下位層への安心感の付与、ひいてはカーストの無効化である。上記分類でいえば新参の②に属する私は、通常の集団では下位カーストとなるため、例会前はうまく場に溶け込めるか相当な不安を抱いていた。またこれは、①の人にとっても無関係な問題ではない。集団があればその内部には宿命的に序列が発生するからだ。つまり活動に深くコミットしている常連であっても、何らかの事情で下位カーストに位置付けられる恐怖は常に付きまとう。しかしそもそもある個人の集団におけるカーストが低いと言えるためには、集団内の他の構成員が「その個人は下位カーストである」という認識で一致するとともに、それに相応しい劣悪な対応を反復的に継続することで絶えずその認識を確認し続ける必要がある。翻って、サークラでそんなことができるだろうか。例会にはカースト等の内部事情など全く知らない③の「一見さん」がひっきりなしにやって来る。その人達の前で特定の会員を手酷く扱うことはできないし、まして「一見さん」に「あなたも一緒になってあの会員をいじめて下さい」などと強制することは尚更不可能である。そもそもサークラの場合、どこからどこまでが「集団の構成員」と言えるのかすら曖昧である。私は構成員だろうか? では③の人は? 例会に一度も行ったことがない人は? 分からない*3。このような状況では、カーストを形成するのは不可能である。

 まとめ

 このように、一見影が薄そうに見える③の人が外部の視点を持ち込むことによってどれだけ多くのものをサークラにもたらしているか、お分かり頂けだろうか。繰り返しになるが、この役割は①の人にも、半端に事情を知っている私のような②の人にもできない。本当に③の人にしかできないことである。ピンとこない人のために例を出すと、裁判所や地方議会、各種審議会などは基本的に誰でも傍聴できる。この傍聴者は発言を許可されていないから、議論にはコミットせずただそこに居るだけである。では、傍聴者が居る場合と、一切内容が非公開である場合では、そこで交わされる議論の内容は同じだろうか。答えはノーである。前者と後者では議論の内容は根本から全く異なってくる。これは私が公務員として両方を経験しているので確信を持って断言できる。そこから得られるインプリケーションをサークラの例会にも当てはめてみて欲しい*4

 以前ホリィ・セン氏が「例会に一回来て終わりという人とは継続的な関係を築けない」と嘆いているのを読んだことがある。私もサークラよりは何百倍もショボいが「ぼっちの会」という団体を運営していたので、その気持ちはとてもよく分かる。だが私は上記のような理由から、一回しか来ない人もまた重要なサークラの構成要素だと思う。その存在がサークラを他のサークルと決定的に画しているという意味では、最も大切な人達と言えるかもしれない。それに、「一回しか来ない人が多い」ということは「強い動機付けが無い人でも気軽に参加しやすい」ということの裏返しでもあるから、そんなに悪いことではないような気がする。

  とはいえ、③の人を(あるいは②の人も)継続的に受け入れ続けるということは、①の人、特に中心メンバーにとってみれば常に「外部」からの監視によって襟を正し続けることを強いられるということでもある。これは普通のサークルの運営者に比べて余分な精神的負担にもなり得る。実際、ノリが分かっているメンバーだけで楽しくやりたいと思う時もあるだろうし、それは別段責められることでもない。それでも例会をオープンな場にしていこうという姿勢には心から敬意を表するし、そのような場だからこそまた行きたいと思うのである。

*1:複素数太郎氏が後にツイートで「振る舞いが紳士的」と評して下さっているのを見て、とても嬉しくなった。そんなことを今まで言われたことが無いので、本当にありがたいことだと思う。

*2:サークルクラッシュ同好会の内部対立 - サークルクラッシュ同好会ブログ

*3:というか、意図的に曖昧にしているのだと思う。

*4:もちろんサークラの場合は「一見さん」も活動に参加するから裁判などに比べても更に影響力は大きい。ただ、もし仮に黙って見学するだけだったとしてもそこには重要な意義がある。

相談できる強さ・愚痴を聞ける強さ

 過去の記事で、人にものを相談するには相談内容を適切に整理するする技術が必要だと書いたことがある。

double-techou.hatenablog.com

 しかし、どのような形であれ相談ができるという時点で強者であり、それ以前の所で躓いている人もいるのだと分かってきた。つまりそもそも相談ができない、自分が困っているから助けてくれというのが言えない人たちである。そういう人に対しては、こちらが無理矢理相手の話から問いを見つけ出し体系化してそれに対応する答えらしきものを提示しても何にもならない。相手がまだその段階には無いからだ。だからひたすら傾聴することが大事であり、それだけでも相手にとって大きな助けとなる。そのことは頭ではよく分かっている。分かっているのだができない。私は弱い。

www.ted-ja.com

 

 上記のことについて具体例に即して話したい。私には親友と呼べる人間がこの世でたった二人だけいる。そのうちの一人は高校の同期で、大学で離れた後も長年に渡ってほぼ毎日LINEをやり取りする仲だ。彼は今年就職したのだが、仕事がものすごく辛いようだ。今年度に入ってからLINEで送られてくる内容は仕事に対する不満ばかりになった。例えば、精神を削られるとか、こんなものは虚業だとか、やりがいを感じないとか、上司がクソだとか、etc…… これは相談の形を取っていないということがお分かりだろう。彼はとてもプライドが高い。故に「このような点で私は困っているので助けてほしい。どうしたらいいだろうか?」という風に助けを求めることができず、常に外部への攻撃・否定という形を取ってしまうのだ。

 私は始めなんとか「相談」に乗ろうとした。まず彼がどうしたいのかが分からないとアドバイスのしようがない。しかしそういった質問を投げかけても、はぐらかされたり茶化したり無視されてしまう。言うのが恥ずかしいのか、そもそも自分でも分からないのかもしれない。そうなると、次善策として「彼の苦しみはどうすれば無くなるのか?」とこちらで考え、そのために考え得るアプローチをいくつか提案することになる。「仕事を辞めたら?」「フリーターになったら?」「生活保護で暮らすのは?」「ノルマを一切無視したらどう?」「上司が代わるまで我慢するのは?」「上司に刃向かってみたら?」「発達の診断を受けて障害者手帳貰ったら?」etc…… ところがこれに対しても明確な返事は無い。少なくとも一つたりとも実行はしていないようだ。それでいて愚痴は無限に垂れ流されてくる。私もいい加減うんざりしてきた。私は負の感情を放り込むダストシュートではない。彼が「自分がどうしたいのか」ということに向き合い、それに合わせた解決策を試していく以外に彼の人生を良くする方法は無い。そしてその手伝いならいくらでもするつもりでいた。でも、彼にその意志がなくただ不満を垂れ流すだけならば、そんな会話に何の意味もない。

 私は意を決して「相談なら聞くが愚痴なら聞かない。」とはっきり言った。以来彼から連絡は無い。

 しかし、悩みを抱えている人というのは往々にしてアドバイスを求めているのではなく、話を聞いて欲しいだけらしい。愚痴を聞いてもらうことで、何か具体的な解決策は出て来なくとも、少しだけ気持ちが落ち着き、前へ進む力が湧く。つまり私がすべきだったのは「相談に乗ること」ではなく「愚痴をただ愚痴として聞く」ことだったのではないか。私はそれを数少ない親友に対してすらできないほど器が小さく、弱い人間なのだ。

 彼は今頃どうしているだろうか。とにかく死なないでくれればそれでいいと思う。生きていて欲しい。それ以外何も望まない。望む資格も無い。

うおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 障害福祉サービスの世界には、相談員(介護保険制度におけるケアマネに相当)という人達がいます。先週、相談員の度重なる傍若無人な振る舞いについに堪忍袋の緒が切れ、契約の解除を申し入れました。どのようにやばかったかということを具体的に列挙しても、皆様の胸糞を悪くするだけで何の面白味もないのでしません。まあ漠然と言うと、とにかく報告連絡相談が壊滅的にできない、約束を度々破った上何の連絡も無い、平気で嘘を付く、暴言を吐く、×100回という感じです。

 そういうわけでめちゃくちゃ腹は立つんですが、この人一人を狂人として片づければ良いという問題ではない、構造的な問題であるというのがこの記事の本旨です。何故なら、私はもう一人相談員を経験しているのですが、その人も輪をかけて狂人だからです。しかも周りに話を聞いてみると、似たようなトラブルはそこらじゅうで起こっているようです*1

 では一体何故なのか。端的に言うと、国が決めた相談支援の報酬体系が儲かりようが無いものになっているからです。年に一回利用者と何回もやりとりを重ねながら手間暇かけて介護計画を作って、年がら年中介護事業所と利用者とのトラブルを仲裁し、定期的に利用者の家を訪問し、それで報酬はたったの数万円です。割に合うわけがありません。

 そうなると、相談事業をやる主体は三つに分かれます。一つは、介護サービス事業との相乗効果を狙う事業所。相談支援によって介護計画作成に携われれば、その利用者を自社の介護サービスに誘導しやすくなります。また、自社が介護サービスに入っている利用者の介護計画は、少ない労力で作ることができます。ただしこれには利用者にとってはデメリットもあります。利用している介護事業所と利害関係がないからこそ、利用者は相談員の公平さを信頼してなんでも相談できますし、第三者的な相談員の存在が介護事業所への牽制にもなるわけです。ところが相談支援事業所が介護サービスにも入ってきてしまうと、生殺与奪を握る利害関係者になってしまうわけなんですね。これでは意味がない。

 二つ目は、少ない報酬でもバリバリ働く、有能かつ社会貢献欲求に溢れた、生き仏みたいな人です。

 三つ目は、あまりにも狂っていて他にできることが無いため、どんな割の悪い仕事でもやるしかないという人です。

 少なくとも私は二つ目の類型の人に出会ったことがありません。超希少種です。でもいるところにはいるらしいのでそれを期待してガチャを回し続けるしかないですね。

 短いですがおわり。

*1:もちろん、まともな人も数は少ないですがいらっしゃいます。