Mastodon

ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

【目次・概要・関係性】7〜8月頃に投稿する5本の記事について

 7〜8月に投稿予定のA・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ(後述)、及び昨日投稿した Ⅰ の記事は緩やかに繋がり1シリーズを構成する。しかし同時に、個々の記事は単体でも成立するよう一話完結型にしてある。従って、興味のあるものだけを(あるいは違う順番で)お読み頂いても何ら問題なくご理解頂けると思う。

各記事のタイトルと繋がり

Ⅰ 生まれてきて良かった

 ⇒7月16日投稿済

  A 哲学者が障害を引き合いに出す時のこと

 ⇒7月18日投稿済

Ⅱ 生殖・出生前検査・中絶・出産・養育・虐待の倫理

 Ⅰで扱えなかった反出産主義や、中絶の権利を撤回した米国連邦最高裁判決なども含め、出産や養育を巡る様々な立場や問題を「誰が主語なのか」に注目して俯瞰する。

 ⇒8月5日投稿済

Ⅲ 名前の剥奪と生の否定 匿名の死者を悼むことは可能か 障害者連続殺傷事件から6年

 ⇒7月26日投稿済

Ⅳ 『アタシ再生産』 存在の是非/親から子への応答責任は具現化できるのか/自己同一性の未来 etc…

 主に「未来を舞台にして問う方が有益だ」と思われる種々の重要な問題について論じる。科学技術の進歩が自己同一性の問題や有史以来続く出生主義対反出生主義の綱引きにどう影響していくのか等々。Ⅰ〜Ⅲで掬いきれなかったトピックのアラカルト的な記事でもある。その割にインプットすべき知識や作品は膨大なので、あまり焦らず楽しみながら取り組んでいきたい。

【着想の経緯】

 Ⅱの着手の契機は、米連邦最高裁が「(中絶の権利を認めた)ロー対ウェイド判決」を覆したこと。障害者にも密接に関わる分野でもあるので取り組むことにした。

 Ⅲのやまゆり園における犠牲者に係る匿名報道については、ここ数ヶ月ずっと考えていた。そうした折に追悼について考えさせられる出来事があり、問題意識がより明確になってきた。

 この2つに取り組むうちに、反出生主義やそれに対する批判などについても考えざるを得なくなり、Ⅰが生まれた。Ⅰではべネターと森岡氏の両哲学者の議論を参照しつつ、最も控えめに生を謳歌した。今までとは違う形で自らの人生を振り返る良い機会になったと感じる。またその過程で「主語」を重視する論考スタイルを知ったことは、Ⅱ〜Ⅳの内容を考えるに際しても相当大きな力になっている。

 そしてAはⅠの副産物として生まれた記事だ。比較的短い上にⅠとの繋がりが深いため一体としても良かったのだが、趣旨が少し異なるように思えたので独立させた。AはⅢとも深く関わる問題である。