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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

障害者の人生の選択肢 ――乙武洋匡氏取材後記――

 いつもお世話になります。

 下記の通り文春オンラインに乙武洋匡氏へのインタビュー記事を掲載させていただきました。今回は今まで以上に手応えがあります。どうかお読みください。お願いします。

#1(前編)

bunshun.jp

#2(中編)
 

bunshun.jp

#3(後編) 

bunshun.jp

  乙武氏の発言や当日の取材の様子などは記事本編に全て譲ります。ここでは、本編に書く性質のものではない、あくまで私のごくごく個人的な感慨や考察などを補足させてください。

乙武氏の資料にあたる中で感じたことなど

 多くの障害者がおそらくそうであるように、私も長年「乙武さん」について冷静に語ることはできませんでした。このブログで今まで一度も言及してこなかったのもそのためです。言いたいことはあるが、うまく形にならない。彼は画面の中に居て手が届かない。あまりにも大きくて遠い存在。

 ところが、取材前の調査で改めて彼の著書群やインタビュー記事を読み込み、衝撃を受けました。「障害者は僕のようになれ」などという主張は一つも見つけられなかったからです。むしろ真逆で「僕を引き合いに出して他の障害者に何かを押し付けることはしないで欲しい」という旨の警告が繰り返し強調されていました。

 つまり私の周囲にいた人達も含め、障害者達に「お前も乙武さんのようになれ(だからこっちの言うことを聞け)」と言ってきた無数の健常者達は、そもそも彼の著書群や発言をまともに読んでいなかったことになります。いわば「原作未読勢」ですね。

 では、障害者の側は乙武氏の主張を正確に理解していたでしょうか。少なくとも、私は違いました。せいぜい『五体不満足』の第1部~3部だけの、それもかなりバイアスのかかった、至って曖昧な記憶だけをもって、周囲の健常者達と乙武氏とを同一視してしまっていました。乙武氏への解像度が低いという意味では、私も彼らと五十歩百歩だったのです。

 私が本当にすべきだったことは2つ。1つには、まず乙武氏の著書を読み込み、周囲からの圧迫に対し「乙武さんはそんなこと言ってない(または後に否定に転じている)」と明確に摘示すること。2つ目は、乙武氏の主張を正確に理解した上でなお同意できない部分に対しては、きちんと筋の通った論理で自分なりの批判と主張を展開していくことでした。しかし私はそこに思い至ることなく、違和感を抱きつつも、それにきちんと向き合ってきませんでした。そしてそのまま大人になり、これまで年齢を重ねてきたのです。

障害者から見た『五体不満足』の意義

 では、きちんと資料を読み込み、彼の発信してきた内容をある程度は正確に理解したとします。その上で、可能な限り冷静かつ公平に議論しようとすると、何が言えるでしょうか。乙武氏の発言全てを扱うとなると考察対象があまりにも広範にわたるため、本稿では『五体不満足』の初版に限定します。

 これに対する最も優れた批判は、倉本智明「乙武くん、気をつけて--『五体不満足』はどう読まれたか」(掲載誌 木野評論 / 京都精華大学情報館文化情報課 編 (通号 31) 2000.03 p.86~92)でしょう。障害者からの批判的視点はこの文章にほぼ網羅されていると言っても過言ではありません。

 従って、本稿ではあえて『五体不満足』が障害者に及ぼした良い影響を挙げます。

 それは、一言で言えば「障害者の生き方の幅を広げたこと」です。

時代背景

 このことを考えるには、きちんと時代背景を踏まえる必要があります。
 そもそも、乙武氏が登場する数十年前から、障害者運動というものが連綿と存在してきました。以前取材させていただいた木村英子参議院議員もその流れに連なる人物と言えるでしょう。こうした障害者運動によって獲得されてきた社会的な権利があって初めて、私も含めた障害者の生活が成り立っているわけです。
 他方、『五体不満足』は障害者運動の流れとは全く無関係なところから登場しました。それは期せずして、(障害者運動も含め)それまでの社会が積み重ねてきた障害者像に対する強烈なアンチテーゼとなったのです。それが、多くの障害者の論客の中で彼が飛び抜けて新鮮に見えた(とりわけ健常者には)理由の一つでしょう。

 このように、「当時の社会で支配的だった障害者像に対するカウンター」という歴史的文脈を踏まえないと『五体不満足』の意義を正当に評価することはできません。

 では、伝統的な障害者運動と『五体不満足』を二項対立で捉えるべきなのでしょうか。確かに、前者は「社会の側の問題」に、後者は「個人の生き方」に重心がある、という点ではそうかもしれません。

両極の意義

 しかし私のように、その両者の「後」を生きる世代の障害者から見れば、重要なのは「どちらが正しいか」ではありません。むしろ、どちらも存在していてもらわないと困ります。なぜなら、どちらも存在していて初めて「そのどちらでもない曖昧なスタンス」「両方に対して是々非々で向き合う姿勢」を取ることができるからです。いわば両者は一本の線分の両端です。両極端が先に存在するからこそ、若い世代の障害者はその端点の間の立場を取ることができるのです。

 障害者問題に限らず、存在しない意見や立場に対して反発することはできません。「障害者運動も『五体不満足』も、どっちの考え方もあまり好きじゃない」というポジションを取る障害者はたくさんおられると思います。それが可能なのは、両者が当たり前のようにしっかりと存在するからです。

曖昧な星座の中で

 私のような半端者でも、両端の方々が作り出してくれた曖昧な領域の中では、かろうじて息ができています。こういった曖昧な領域が世の中に増えるほど、人生における選択肢や居場所も増え、結果的に個々人が生きやすくなるのではないのでしょうか。

 また、逆説的ではありますが、マイノリティーがその領域を獲得していく過程では、その頂点を形成するような尖った立場と、それを体現するに相応しい力を備えた傑出した人物の存在がどうしても必要になります。方向性は様々違えど、行けるところまで突っ走っていき、そこで並外れた輝きを放つ。それが私の考える「1等星」、つまり乙武氏や木村議員といった人達なのです。

 そして「1等星」が増えれば増えるほど、その人達が形作る星座も、点から線へ、線から三角形へ、三角形から多角形へと変化しながら、少しずつ膨張していきます。すなわち、障害者が人生を送る上での選択肢は、より多彩なものになっていくことでしょう。

人生の1期最終回

 この仕事を頂いた時、「人生の最終回みたいだなあ」という感じがしました。それだと少し語弊がありますが、「人生の1期最終回みたいだ」という感覚は今も確実にあります。その理由が「乙武氏が著名人だから」だけではないことは、このブログや本編を読んで頂いた皆様にはなんとなくお分かりいただけるかと思います。今まで生きてきて良かったなと思いました。

 実際にできあがった記事も集大成と言えるものになったと思います。私はこのお仕事をやり遂げたことで、ある程度自分の人生に満足することができました。これは誇張ではなく、少なくとも現時点での率直な気持ちです。

個人的な今後

 しかしそれと同時に、文章を書く意欲は下がるどころかますます高まっています。そのことに自分でも安心しました。これからももっともっと文章を書きまくりたい。今はとにかく、それ以外にしたいことはありません。死ぬまで良い文章を書き続けたいです。

 乙武氏が1等星だとしたら、今の私はどれだけ高く見積もっても6等星でしょう。「乙武さんのようになりたい」という言葉には色々な意味がありますが、「ライターとして偉大な先達に少しでも近付きたい」という思いもその一つです。

 ただ言うまでもなく、これは「乙武さんと同じ考えや視点を持ちたい」とか「同じ方向性の文章を書きたい」というのとは全く違います。彼は自他共に認める「陽で伝える」人です*1。それは決して他の人には、少なくとも私には真似できないものです。私は根暗です。しかし、根暗にしか書けない文章、いわば「陰の伝え方」というものがあるのではないかとも思います。

 もっと言えば、私は「陰の1等星」になりたいのです。しかしそれでは語義矛盾になり、しっくり来ません。そんなことを考えていたら、私の気持ちにドンピシャな言葉が乙武氏の著書の中にありました。

一度、黒い花に咲いてみたいなぁ。*2

 これは、乙武氏が担任していた小学生のH君が書いた詩の一節です。そこには私がなりたいものが見事に言い表されており、「これを今後の人生の目標にしたい」と強く思いました。

 もっとも、これは素晴らしい言葉ではありますが、私が自分で考えたものではありません。まずはH君のように、自分がなりたいものを自分の言葉で表現できるようになりたいです。

 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

*1:AERA 2011年3月21日号 p.63

*2:乙武洋匡「自分を愛する力」(講談社現代新書)に掲載された詩の一部を抜粋。原典は「杉並子ども詩文集『杉っ子』2009年版23号」所収