映画『愛について語るときにイケダの語ること』のレビューを文春オンラインに書きました。
上記記事に書き切れなかった部分を以下に補足させていただきます。主に映画としてのテクニック面の特徴に光を当てています。
一人の人間をいかに丸ごと複雑なまま提示するか
「池田英彦」という一人の人間の複雑な生をいかに丸ごとそのまま感じてもらうか。この映画はそれを追求している。パラ猥談という断片だけを手早く消費されて終わる人々と同じ轍を踏まないための工夫が二つある。
第一に、映画というパッケージを選んだこと。
本作は全編通して鑑賞されてはじめて意味を成す。センセーショナルな部分だけを見ても決して価値は分からない。ハメ撮り映像はあくまでフックであり、愛を語るための手段なのだ。
しかしコンテンツの世界では見せたい者よりも見る者の方が遥かに強い。例えば無料ウェブ記事なら、途中でも飽きたら即座にブラウザバックされ、その先は読んでもらえない。
対照的に本作を見られるのは、交通費をかけて吉祥寺などのミニシアターに赴き、2000円弱を払い、58分間暗い空間にとどまることを厭わない人に絞られる。その代わり、最後まで観てもらえる確率は格段に高められるのだ。
第二に、ドキュメンタリーの暴力性を上手く避けている。
本来、あらゆる人生は様々な要素が奇跡的に入り混じった芸術であり、かけがえの無い一回性の作品だ。しかし障害者のドキュメンタリーは、人の固有性を剥ぎ取り極度に単純な類型へ落とし込みがちである。不毛なパターンが複製されていき、その過程で生の持つアウラは損なわれてしまう。
そこで本作では現実と虚構を適度に混淆させることで、観客個々人に多様な解釈の余地を残している。己と池田氏を重ねたり遠ざけたりしながら、各々が思う「ほんとう」を紡ぐ過程を通じ、障害者への視線を自省できるつくりなのだ。
その他
・本作のようにテクニカルな趣向を凝らすことにより、池田氏や私のような恋愛経験の乏しい障害者であっても間接的に愛を語る事ができるのだというのは、新鮮で勇気付けられる発見だった。
・障害当事者が自らの持ち味を存分に活かした映画が少しずつ生まれている。石田智哉監督の『へんしんっ!』や、全盲の加藤秀幸氏が主演で活躍する佐々木誠監督の『ナイトクルージング』など佳作も多いので、また稿を改めてじっくりと分析していきたい。
・私も池田氏と同じく地方公務員だったが、退職時に同僚達がくれた手紙を、2年近く経った今も読めないでいる。いつか胸を張れる自分になれたら読めるかもしれない。