「ラブライブ!サンシャイン!!」の聖地、静岡県沼津市への巡礼。Aqoursにとっての原点が、私の旅の目的地だ。
目次
思い出TOP4
4位:Fuck Socks
私は靴を脱ぐことはできても履くことはできない。靴を履いたまま寝るわけにはいかないから、当然2日目以降は靴下で出歩くことになる。私は車椅子ユーザーなのでそれ自体は致命的ではないし織り込み済みであった。誤算だったのは思ったより歩道がガタガタで段差もたくさんあったことだ。それによって私の足先はたびたびフットレストを越えて激しく地面に打ち付けられた。痛いのには慣れているが、流石に今回はかなり痛いなと思ってふと足元を見たら下のような状態になっていた。
歩道に当たった衝撃で靴下が破れたのは生まれて初めてだ。これで1日を過ごすのは流石に相当恥ずかしかった。JAなんすんの方にも「大丈夫ですか?」と心配されてしまった。
3位:下半身丸裸で丸1日を過ごす。
3日目の朝にホテルで小便に間に合わず全て漏らしてしまった。言い訳をすると、旅先ではベッドから車椅子へ移るのにかかる時間や多目的トイレの状況、膀胱の調子などが微妙に変わってくるのだが、その計算に僅かでも狂いが生じるとすぐにこういう事態になる。しかしこの程度で動じていては私のような重度障害者は一生旅行などできない。何より、前を向く強さをAqoursから学んでいたのが功を奏し、すぐに腹を括れた。とはいえ、ズボンとパンツと靴下は全てずぶ濡れで、放棄するしかない*1。そこで、1日目に脱いだベストとジャケットで下半身を覆い、その上に鞄とポシェットで重しをした状態で旅を継続した。
だが、言うは易し行うは難し。この日の旅程は沼津駅から沼津港で、2日目の内浦よりはバリアフリーが進んでいたものの、やはり大阪に比べれば相当車椅子が揺れる。その度に太腿が露出しそうになるので本当に気が気ではない。百歩譲って太腿ならまだ良いとしても、かばんを取り落とした瞬間に、それに引っ張られてベストとジャケットもずり落ちてしまったとしたら。それは即座に局部を露出することを意味し、その場で逮捕されても何の文句も言えない。なんとか1日ボロを出さずに乗り切ったつもりだが、傍から見たら相当異様な風体だったに違いない。極度の緊張感の一方で、「なぜ、私はこんな三谷幸喜作品みたいなことをしているのだろう」という疑問が何度も頭をかすめた。
では旅行自体を後悔しているかというと、全くそんなことは無い。何も行動しなかったら失敗もないが、0のままだ。今回の経験は自分の中で大きな糧になったと思うし、「0を1にしたい」という高海千歌の気持ちが少しだけ分かったような気がした。
2位:沼津市の面白さ
沼津市はなかなかカオスが渦巻く街で大変興味深かった。堕天使ヨハネがこの地に降臨したのも頷けるというものだ。
特に趣深いと感じたポイントを撮影したのが以下の三枚である。
1位:素晴らしい対応をしてくださったお店の人たち
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ドールハウス KIMURA
店員さんの人柄が本当に良い。上記の商品を何とか車椅子の後ろにうまく結わえ付けようと、親切に一生懸命知恵を絞って下さった。おかげで家まで無事持って帰ることができた。
何より、熱い口ぶりからAqoursへの強い愛情が伝わって来た。アニメ1期と2期の間に、サンライズから直々にコラボの話が来たそうだ。筆者はもっとお店と制作会社の間に代理店など色々な人が入ると思っていたので、「ダイレクトに話が来るものなのか」と驚いた。
その際にサンライズから「迷惑が掛かるかもしれません。」と言われて、何が迷惑なのか分からずキョトンとしたという。これは厄介オタクが来店することを指しているのだが、実際、「この3年間で無茶苦茶な人が来たことはないし、みんな礼儀正しい好青年」だと仰っていた。
それだけこのお店が愛されているのは、店員さんの人柄による部分が大きいと思う。ファンが国木田花丸のこけしをベースにして作ってくれたという店員さんを模したこけしが、大事そうにレジに飾られていた。
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三津郵便局
車いす用トイレが少ない内浦において、2回も親切にトイレを貸して下さった三津郵便局の方々には感謝してもしきれない。ちなみにこの郵便局のトイレの手洗い装置は自動センサー式である。アニメ本編で、国木田花丸が沼津市街の自動センサー式手洗いに「未来ずら~」と感動していたことと合わせて考えると、彼女は三津郵便局のトイレを利用したことがないということが分かる。
この記念切手は、正確には郵便局ではなく三の浦総合案内所で購入した。
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サスヨ海産市場支店
とある飲食店に入ろうとして入口の段差の前で途方に暮れていたら、この店の店員さんが「手伝いましょうか」と声をかけて下さった。ライバル店に入ろうとしている車椅子の人間を助けようという心意気に感銘を受けたので、そちらの店で食べることにした。
店内では「あじあじひもの、あじひもの~」というやたら耳に残る曲がエンドレスループしている。本来は干物をセルフで焼いて食べる店だが、その助けてくれた店員さんは焼いてくれた上、「これだけだとお腹いっぱいにならないかもしれないから」と、車椅子にオススメの飲食店をいくつか挙げて、そこまで案内までしてくださった。
障害を持っていると、こういった親切が本当にありがたいし、心に沁みる。助けてくれた人が想像する以上に本当に助かるのだ。このご恩は一生忘れないようにしたい。
沼津港周辺の風景。これと一つ下の写真は、巨大水門「びゅうお」から撮影した。
雑多な所感
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沼津市民のAqoursへの温度差・距離感
上記に挙げた3つの店の人達だけでなく、比較的Aqoursに好意的な人が多かったのは間違いない。しかし、もちろん口ぶりから苦々しく思っていることが推察される人も少なくなかった。「アニメって怖いわね。すぐ下火になると思ったけど、まさか4年も続くなんて、良いんだか悪いんだか…」と語ってくれた人もいた。地元の中でも温度差があるのは自然なことで、全く悪いことでも無いし、むしろ色々な人がいて面白かった。
一番興味があるのは、沼津在住のアニメオタクのAqoursとの距離の取り方だ。なにしろ、仲見世商店街、上土商店街など、沼津駅前からして既にAqours一色なので、目に入れないという事は不可能だ。当然Aqoursを推しているオタクの人もいるだろうが、これだけ自分の地元の街と一体となっているとあまりに身近過ぎて、トキメキや憧れの対象というよりも、もはや姉妹や幼馴染のような感覚になってしまう気もする。かといって、Aqoursに興味ない、あるいは嫌いと言うと、周りから「逆張り野郎」とレッテルを貼られないか心配だ。加えて、ゲーマーズやアニメイトもほぼAqours一色なので、興味ない人にとっては結構肩身が狭そうだ。
もし読者の中に沼津在住のオタクの方がいらっしゃったら、是非ともコメント欄やツイッターの方に所感をお寄せ頂ければ大変ありがたい。
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渡辺曜生誕祭
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初めて訪れた静岡の全体的な所感
みんな観光客が激減して困るという話をしており、それはオタクの聖地巡礼も例外ではないそうだ。全体的に暗い雰囲気が漂っていた。
静岡の人の言葉は殆ど標準語と変わらない。「広島出身で、静岡には初めて来ました」と言うと、皆揃って「まあでも私らも逆に広島に行ったことないしね」と言っていた。
ハード面のバリアフリーは大阪や広島より未整備だが、住民がかなり親切に手助けして下さったので本当にありがたかった。それは沼津が観光地だからなのか、それとも静岡県民全体の特性なのか分からないが、とにかく温かい人達だった。
決済について。地方では現金かペイペイしか使えない店がとても多いので、ペイペイは入れておくべきだった。
旅行記をポメラ(電子メモ帳)で記していったらカッコいいなと思い、持って行ったが、一切使わずにただ重いだけだった。少なくとも車椅子ユーザーが旅行にポメラを持って行くのは推奨できない。
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その他の写真
旅行記を面白く書くことの難しさ
身も蓋もない言い方をあえてすれば、旅行記というものは大抵つまらない。大好きな作家のエッセイであっても、旅行記の部分は読み飛ばしてしまうことが多い。
今回、自分で旅行記を書いてみて、なぜ旅行記を面白く書くのが難しいか、分かった気がする。
観光地にある情報というのは、公式・非公式を問わず、ネット上にたくさん公開されている。特に沼津市のように、地域の側から聖地化を狙って全てのコンテンツがお膳立てされている場合は尚更だ。おそらく1日ネットサーフィンをすれば、今回私が二泊三日の旅行で得たよりも遥かに多くの情報を得ることができるだろう。
それでも人々がわざわざ旅行するのは、既に公開されている情報・風景・場所であっても、直に訪れることによって心を揺さぶられ、自分だけの特別な体験となるからだ。
しかし逆に言えば、旅行の面白さや非日常のワクワク感というものは、あくまで個人的な情動に過ぎないということ。それを読む人の側からすれば、私の大阪での日常も静岡県沼津市の様子も、同様に遠く離れた出来事に過ぎない。当然、非日常感など知ったことではないのだ。私が1日中家にこもっていた日の日記の方が読者にとって面白い、ということは十分あり得る。
もちろん、多くの人は純粋に自分の楽しみや満足のために旅行記を書いてアップしているのだと思う。それ自体は全然悪いことではない。
しかし、私には「読者にとって面白みや得るものがない文章は、ブログにも文春オンラインにも絶対に上げない」というポリシーがある。 つまり、「面白くしづらい旅行記というジャンルをいかに面白く書くか」というのは私にとって、下半身丸裸で旅行するよりも歯ごたえのある挑戦だったのだ。その結果は読者にご判断いただくしかない。
最後に、今回の旅行記をまとめるにあたって心がけたことを書き記しておく。
第一に、単にできごとや写真を時系列順に並べるのではなく、意味の塊ごとに編集すること。私にとっての旅の時系列など、読者にとって極めてどうでも良いことだからだ。
二つ目は、私個人にとって大切かどうかという基準ではなく、読者が面白いと思ってもらえるかどうかという基準を大事にしたこと。その基準により良く当てはまるものほど前に持ってくるように構成した。文春オンラインの仕事をする中で教えていただいた、一番重要なこと。それは、「読者はその気になればいつでもブラウザバックできる。決して忘れるな。」
写真についても、いかに気に入っていようと、読者に求められていないと思うものは載せなかった。例えば、巨大水門「びゅうお」を被写体として撮影したマイベストショットが手元にある。これらについては、「同じ被写体で遥かに優れた写真がネット上にいくらでもあるだろう」と容易に推測できたので、全てボツにした。その代わりに先頭を飾ったのは、自分の破れた靴下の写真である。これは一見おかしなことに思えるかもしれないが、「読者の立場に立つ」ということは、文章を書く誰もが普段から当たり前に意識しているはずだ。
それでもなお、旅行に行くことによってその意識が希薄になり、私にとって特別な体験と読者にとって面白い体験を混同してしまいそうになることが何回もあった。
これらを総合して考えると、旅行記の作り方としては以下がベストではないか。まず、旅行中や旅行直後は、なるべく多くの思い出や写真を忘れないうちに迅速に素材として保存しておく。一方で、ある程度それらを寝かせてから執筆に取りかかることも大切だ。旅行の高揚感から解放され、冷静にコンテンツを吟味できる状態になってから旅行記を書き始めるのが最も良いに違いない。
今回の旅はあらゆる意味で大変勉強になった。静岡県沼津市の皆様には改めて深く感謝を申し上げたい。本当にありがとうございました。
おまけ
*1:ホテルの人に事情を説明して平謝りし、ごみとして処分してもらった。本当に申し訳なかった。