ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)です。

自伝①地獄編(小学校卒業まで)

 私は小さな真宗寺の長男として生まれました。

 脳性麻痺のため、歩くことも、支え無しで立つこともできません。上半身にも麻痺があるため、背筋は湾曲し、右手も自由になりません。

 両親はそうした現実が受け入れられなかったのでしょう。不幸にも、ドーマン法という民間療法で私の障害を「治そう」とし始めました。これが地獄の始まりでした。毎日毎日、朝から晩まで「訓練」という名の虐待が続きました。具体的には、頭上梯子というぶらさがり器のような器具を使って歩かせる、ひたすら高這いをさせる等です。これらには回数やタイムのノルマがあって、それを達成するまでは泣こうが喚こうが決してやめることは許されません。できない場合は容赦なく殴られ、罵倒されます。ひどい時には家の外に叩き出されて数時間放置されたり、食事を与えてもらえなかったりします。1か月間風呂もシャワーも許されなかったことはざらです。また、食事の際は特殊な器具を使って無理やり立ったままの状態に常にさせられましたし、体に良いということで天井から逆さ吊りされたりもしました。そうした訓練でボロボロになっても休めるわけではありません。「お前は障害者で人より劣っているのだからその分何かで突出しないと生きていけない」ということで、「訓練」の合間には異常な早期教育を受けました。主には数学で、小学校に入る前から中3くらいの内容をやらされていました。他にも物理、プログラミング、3Dモデリング、絵、新聞作りなど、父が思いつくことは何でもやらされました。しかしどのようなことであれ「訓練」と同じで、与えられた課題をこなせなければ容赦なく殴られ罵倒されるので、楽しいとは感じられませんでした。当然ながら身になったものは一つもありません。スパルタというのは百害あって一利なしだと思います。

 「学校に行くと馬鹿になる」という親の方針で、小学校には週3日しか通わせてもらえませんでした。小学校に行っている間は「訓練」からは解放されますが、学校ではまた別の辛さがありました。小学校では障害のある生徒に「介助員」という人が付いて、色々と介助してくれる制度になっているのですが、私を担当した介助員は徹底的に私のことを嫌い抜いていました。私が何をやっても極めて陰険な物言いで難癖を付けてくるのです。しかしその人に頭を下げないと何もできませんので、精神的苦痛は計り知れないものがありました。私に何かしらその人を苛立たせる要素があったのかもしれませんが、小学生にあそこまでの憎悪を向ける人物というのは今から考えると異常というほかありません。

 このように家でも学校でも異常な大人に苦しめられ、最悪の幼少期を過ごしました。更に悪いことに、小学校時代は4回もの手術を経験し、そのうち1回は半年にわたる入院を経験しました。これは別な意味で地獄でした。この時の体験はまた別の機会に詳しく書こうと思います。

 何か不幸自慢のようになってきましたが、決して誇張ではなく、この時期は殆ど悪い記憶しかないから仕方がないのです。唯一の救いは読書でした。本を読んでいる時だけは辛い現実を忘れることができました。特にさくらももこ、椎名誠、東海林さだお、筒井康隆の著書はほぼ全部読んだと思います。宿題の日記などもこの作家達の文体を真似て書くほど心酔していました。そういうことをやっていたおかげか、小学校在学中に作文コンクールで県最優秀賞を2つ取りました。これは幼少期の数少ない良い思い出の一つです。