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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

発達飲み会での不思議な体験

 一年くらい前、発達障害者やそれに類する傾向を持つ者ばかりでオフ会(飲み会)をしたことがある。私は集団が大の苦手で、特に飲み会などは普通ならば絶対に参加しない。しかしこの時は非定型発達者ばかりが集まるということで、もしかしたら分かり合えるかも、更に集団に対する苦手意識も克服できるかも、うまくいけば友達ができるかもしれないと考え、勇気を出して参加した。

 

 私も含めて6人の男女が集まった。全員互いに初対面であったが、皆とても良い人であった。企画をしたり、会場を抑えたり、私の車椅子を持ち上げたりと、極めて親切であった。その点については今でも非常に感謝している。

 ただ、飲み会が進むにつれて私は違和感を抱き始めた。参加者が殆ど恋バナしかしないからである。私は「発達オフなのだから、当然話題の中心は発達障害やその二次障害、WAISや心療内科に関するものになるのだろう」と予想していたし、それを望んでもいた。実際、私はあらゆる機会を捉えて話題をそのような方向に誘導しようとしたが、全て徒労に終わり、参加者は恋バナを続けた。客観的に見れば異常なのは私の方だったのかもしれない。ともかく、話の9割は恋バナで、発達の話題は殆どないままその会はお開きとなったのだった。

 

 アニメオフ会ではアニメ、鉄道オフ会では鉄道の話がなされるように、発達オフ会では発達やそれに関連した話をするのだろうという私の予測は、今考えてもそこまでおかしなものではなかったと思う。どこでもできる恋バナをわざわざこの場でしなくてもいいだろう。にも関わらず参加者が恋バナに終始した理由は、二通り考えられる。

 ①恋バナにオフ会の主旨を上回るほどのコンテンツ的な魅力があったから

 もしこの理由であれば、私とは好みが違うというだけで、共感はできなくとも理解はできる。単純に楽しいからということだろう。

 ②このような不特定多数の飲みの場では恋バナをすべきでありそれが最大公約数的で無難な振る舞いである、という社会的規範を参加者が強く内面化していたから。

 もしこちらの理由であれば、私はより深い絶望に包まれることになる。何故なら、そのような力学は私には一生理解できないものであるし、それが非定型発達者の会合ですら立ち現れてくるとすれば、私が集団と名の付くものの中でうまくやっていける日は未来永劫来ないだろうと確信するからである。