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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

ヤンキーの研究

 「ヤンキー」と呼ばれる人達が何を考えているのか、すごく興味はありつつもよく分からなかった。ヘルパーさんの中には元ヤンの人が多いので色々と学生時代のことを聞いてみたりもしたが、現役ではないのでやはりよく分からない。そういう意味では下記の本は大変面白かった。

  以下、特に印象に残ったポイントを3つ挙げる。

①ヤンキーは意外にも教師を非常に肯定的に評価している

 これは目から鱗だった。よく、勉強ができる生徒や真面目な生徒から「教師連中が僕らよりもヤンキー連中の方を可愛がって贔屓しているのは何故だ? 真面目にやっているこっちが馬鹿をみるなんて理不尽だ!」というような不満が出ることがある。かくいう私もそう思っていたクチだが、この本で謎が解けた。ヤンキーが教師を肯定的に評価しているのならば、教師がヤンキーを憎からず思うのも不思議ではない。これは、塾で先取り学習をするような高学力層がしばしば腹の中で教師を見下す傾向にあるのと対照的である。

陰キャに優しくする余裕があるのはカーストが高いヤンキーだけ

 端的に表現された箇所があるのでそのまま引用する。

「すなわち、坂田は集団内で高い地位にあったからこそ、〈インキャラ〉という解釈枠組みに対する異議申し立てをおこなうことができたのに対して、ダイは、集団のなかで自らの地位が周辺的だったために、〈インキャラ〉を攻撃・嘲笑しなければ、自らを集団内に位置づけることができなかった。」(p.135)

 これは学校で陰キャ側として過ごした私の経験にも合致するし、極めて納得感が高い。しかしなんというか、まさに社会の縮図という感じで、身も蓋も無い悲しい話である。

③客観的に見て酷い親に対して、否定的になりきれない

 ヤンキーの多くは、良好とは言い難い家庭環境で育っているようだ。なかでも前出の「ダイ」の親は客観的に見て虐待としか思えない行為を繰り返している。ダイはそのことを認識しつつも、親を庇ったり称揚するかのような言動も見せる。このダイの言動は良好な家庭環境に育った人には理解できないかもしれないが、私にはダイの微妙な心理がよく分かる気がする。というのも私も虐待を受けながら育ったからだが、そのことを客観的に記述しつつも*1、いざ他人から親を悪く言われると「でも良い所もあるんですよ」などと言ってしまうことがある。これは一種の正常性バイアスのようなもので、親のことを完全な極悪人とは思いたくないという心理の表れなのかもしれない。
 

 以上、つまみ食い的に列挙してしまったが、実際には本書はきちんとした学問的フレームワークに則って体系的に記述されているので是非読んでみて頂きたい。

〈普通の子ら〉のエスノグラフィーが読みたい

 エスノグラフィーの対象になるのは、ある程度特殊性やまとまりを持った集団だろう。マイノリティと言い換えてもいいかもしれない。本書ではそれは「ヤンキー」である。私を何かの属性で表すならば「オタク」「障害者」「ガリ勉」といったものになるだろう。これらの集団についてもそれぞれ既に膨大な研究の蓄積があるに違いない。

 ただ、私が一番知りたいのは「普通の人」が何を考えているかということである。こういうことを言うと、「『普通の人』などいない」「お前も特別でも何でもない『普通の人』だろう」と言われると思うので(実際その通りである)、もう少し分かりやすく公立中学校の40人クラスを例にして説明したい。ここから何かしらの特徴を持った生徒を取り除いていく。明らかなヤンキー、オタク、成績が常に一二を争うような秀才、突出してスポーツが得意な生徒、クラスで一二を争う美男美女、障害者やLGBTなどの社会的マイノリティ、いじめっ子、いじめられっ子などを全て除外する。すると、学力・運動・容姿・コミュ力など全ての要素が中程度でなおかつマイノリティ的な属性も持たないという生徒が残る。私の体感では、この層は40人中少なくとも20人はいると思う。つまりこの「ラベルのない集団」は社会の中心を成す真の多数派であり決して無視できない勢力なのである。そしてこれは完全に私の直感なのだが、この20人は一見バラバラなように見えて、何かその中に通底する共通項・精神性・思想があるように思えてならない。それが何なのかは分からないが、もしそれが分かれば日本社会を解き明かす上で大変有益なはずである。「〈普通の子ら〉のエスノグラフィー」に取り組む研究者が今後現れることに期待したい。

追記

 私の関心にぴったり合う本を見つけた。

ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造

ソーシャル・マジョリティ研究: コミュニケーション学の共同創造

 

  この本は内容もさることながら、できあがるまでの過程が大変興味深い。本当に素晴らしいので是非皆様にも読んで頂きたい。