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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)です。文春オンラインなどに執筆しているライターです。令和は純愛の時代である。

恩義は債権のように他者に譲渡できるのか

 以前このブログで取り上げたA先生*1にまだ何も恩返しができていなかったなと思い立ち、ささやかながら贈り物をした。それをきっかけにして二言三言、言葉を交わした。

 しばらくして、A先生から住所と電話番号を教えてくれというLINEが来た。良いですけど何に使うのですかと聞くと、私が住む選挙区で立候補予定の人(以後Bさん。ただし、私はBさんの名前も知らない)に私を紹介したいと仰る。釈然としない気持ちが残ったが、他ならぬA先生の頼みなので断るわけにもいかず、住所と電話番号を教えた。ただし、「その方のためにお力になれることは無いですよ」ということを重々念押ししておいた。

 何故そんな念押しをしたかというと、仮にA先生の頼みであっても、Bさんの選挙運動に駆り出されたり、献金を求められたりしたらたまったものではないからだ。こう言うと恩知らずに聞こえるかもしれないが、私が恩義があるのはA先生に対してであってBさんに対してでは決してない。つまり、A先生本人に関してなら仮に選挙運動に駆り出されたり献金を求められたりしてもある程度従うが、Bさんに対しては何もする気になれないのだ。

 これは恩義というものの属人性、譲渡不可能性をよく表していると思う。この特徴は債権債務とは対照的である。例えば、仮に私がA先生に対して100万円の借金をしているとする。そしてA先生がこの私に対する債権をBさんに売ったとする。そうすると、私は問答無用でBさんに100万円を返さなければならなくなる。そこに感情や疑問を差し挟む余地は無い。ここが決定的に恩義と違うところである。このようにサービスの交換や貸し借りをより効率的かつスムーズに行えるという優位性があるからこそ貨幣経済というものが発達したのだろう。

 ただ、政治家の仕事というのは、その幅広い人脈を活かして通常は交換不可能なものを交換する媒介になることだ。それは票、行政への影響力、各種団体とのコネクション、メンバーシップなどだ。それが政治家というものである。だから私のように恩義を債権と同様に考えない者は政治家にとってはスムーズな物事の進行を滞らせる面倒な邪魔者ということになる。でも私はもう政治家になる気は全く無いから良いのだ。それに、恩義というものに関して私と同じように考える人も少なくないと思う。皆さんは、いかがだろうか。

後日談

 後日談というか、今回のオチ。

 ある日私の住所に一通の選挙ハガキが届いた。それは一面識も無い公明党議員のものだった。一体何故住所を?と疑問に思ったのも束の間、私は全てを理解した。件のBさんというのは、この公明党議員のことだったのだ。A先生は大の公明党嫌いだったはずだが、おそらく何らかの見返りと引き換えに公明党に名簿を売り渡したのだろう。もしそうと分かっていたら私は決して住所や電話番号を提供などしなかっただろうし、A先生もそれを分かっていたからあえてそこを伏せたのだろう。

 確かに、政治は綺麗事ばかりではない。手段を選んでいては生き残れない世界である。だが、少なくとも以前のA先生はこういうことをする人ではなかった。彼に抱いていた尊敬の念は消え去り、後に残ったのは公明党に住所と電話番号を握られたという事実だけだった。