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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)です。文春オンラインなどに執筆しているライターです。令和は純愛の時代である。

人狼に勝って生き方で負けた話

 2月22日(金)、サークルクラッシュ同好会の例会で人狼*1をした。そこで得られた知見について述べたい。

人狼に抱いていたイメージ

 人狼は私にとって鬼門とも言える因縁のゲームである。というのも、私が大学の時に属していたゲームサークルに居辛くなった直接的な原因は、人狼で三連続で大ポカをやらかして場を白けさせたことにあるからだ。人狼自体は大好きなのだが、実力がそれに全く伴わない。いかんせん社会の縮図のようなゲームである。まず個人の意思とは関係なく各々に役割が割り振られ、一見自由に見えて役割ごとにある程度取れる行動は決まってくる。そしてそこから少しでも逸脱したりミスすると「ゲームを壊す者」として厳しく非難される。挙動不審な者、寡黙な者は真っ先に処刑されるので、皆必死で場に同調し、それらしく見せようとする。「まさに社会そのもの」というのが私が人狼に抱くイメージであり、それが苦手意識に繋がっていた。その日も、とにかくミスしてはいけないという恐怖心のみを抱えてゲームに臨んだ。

当日の試合経過

 ところが実際に起こったのは私が心配していたのとは真反対の事態だった。

 それは二試合目に起こった。ホリィ・センさんはゲームマスターでありプレーヤーとしては参加せず、プレーヤーは8人。8人の内訳は、占い師1、霊能者1、騎士1、人狼2、村人3である。私は占い師になり、ゲームを壊してはいけないというプレッシャーで早くも胃がキリキリし始める。

 一日目、私が占い結果を告げると、なんとAさんとBさんの二人も占い師であると宣言した。もちろんAさんとBさんは人狼なのだが、後から分かった所によると、二人の間で意思疎通が上手くできなかったためこのような状況になってしまったらしい。こうなってしまうと、セオリー的に見て「占いローラー*2」一択である。私は一本道の展開になったことに内心安堵しつつ、占いローラーを強く主張した。もちろん、AさんやBさんは人狼であるから、少しでも紛れを出すために、村人や霊能者が占い師を騙っている可能性などを持ち出して攪乱してくる。私は村人が少しでもそれに流されることを恐れ「いやいや、そんなことをするメリットなんて何もないし、セオリー的にありえないし、全く意味が分からない」というような感じでまともに取り合わず、いかに相手が苦し紛れの主張(実際そうなのだが)をしているかを印象付ける作戦を取った。参加者の過半数人狼経験者だったこともあって結果としてこれは成功し、占いローラーは完遂され、無事村サイドの勝利に終わった。

セオリーと楽しさの狭間で

  しかし、試合後に感想を言い合う中で、楽しくゲームをするという観点から見ると私のプレイングはまずかったかもしれないと気付かされた。

 というのも、Aさんが「私の高校ではセオリーなんてそんなに厳しくなかったし、村人や霊能者が占いを騙ることも珍しくなかった。だから、あなたが占いローラー以外有り得ないという前提で話を進めたことに違和感を持った。」という旨の事を述べたからだ。加えて、村人としてゲームに参加していた複素数太郎さんも、「場がめちゃくちゃになった方が楽しいので、セオリー的にありえない騙りもどんどんやることがある。」という旨を述べていた。

 私はこの二人の話を聞いて大きな衝撃を受けた。というのも、「人狼とは、いくつかのセオリーの範囲内で各人が最善手を選んでいき、どれだけ高い精度で役割を遂行するかというゲームである」という私の思い込みがいかに独善的なものか思い知らされたからだ。私の人狼へのアプローチの仕方は数ある楽しみ方の一つに過ぎない。そもそも、全ての参加者がセオリー通り、つまり確率的最善手を選び完璧なロールプレイをこなしきったとしたら、その行き着く先は無味乾燥な単なる運ゲーである。それがどのようなものかはインターネット人狼を見て頂ければ分かると思う。「2-2進行か」「潜伏1」などと専門用語が飛び交い、淡々と進んでいく様はまるで作業のようである。「この中に嘘を付いている奴がいる」または「しれっと嘘を付き続ける」ということが持つ非日常的な緊張感やワクワク感こそが人狼の本来の面白さではなかったか。

 つまりこの二人は、知らず知らずのうちにインターネット人狼の「常識」に凝り固まっていた私に、もっと自由な遊び方をしてもいいのだと教えてくれたのだった。Aさんの場合は、あくまで勝ちを目指しながらも、それは勝率を高めるセオリーに頼ることによってではなく、各人の自由な行動、注意深い観察、鋭い直感によって成し遂げられてはじめて価値があるという考え方を提示してくれたように思う。これはリアル人狼ならではの楽しさを最大限享受するということを目的とするならば極めて合理的なアプローチである。だからこそ、Aさんもその高校時代の仲間も、セオリーが理解できなかったのではなく、あえてセオリーを遠ざけたと見るべきだろう。複素数太郎さんの場合は、そもそも勝利を目指さないという点で、より大胆な価値観と言えるだろう。ネット人狼であればアクセス禁止処分になってもおかしくない。だがリアル人狼では、その人の普段からの人望やキャラクターによっては敗退行為も許されることがある。私が敗退行為をしたら微妙な空気になるだろうが、複素数太郎さんのトリックスター的なキャラクターや人望の厚さを考えれば、仮にめちゃくちゃなプレイングをしたとしても私も含め誰一人不快には思わなかっただろう。つまり複素数太郎さんはゲームの勝敗以前にメタレベルのコミュニケーションで勝利しているのだ。

私はどのようにプレイングすれば良かったのか

 以上のことを考え合わせると、私に求められていた最善のプレイングとは以下のようなものだっただろう。つまり、セオリーを盾にAさんやBさんの主張をただ無意味だと退けるのではなく、きちんと皆で検討した上で論理的に反論する。また、複素数太郎さんのようなトリッキーなプレーヤーがいることも仮定し、色々なパターンをみんなで話し合いつつ、最終的には皆を納得させて占いローラーという自分の考える最善手に誘導し、村サイドを勝利に導くべきだった。

 しかし、私のコミュニケーション能力不足、頭の悪さ、ミスへのトラウマ、5分という時間制限などが重なり、上記のようなプレイングになってしまった。言い訳にはなるが、占い師には村サイドを勝たせる責任があるというプレッシャーも一因だ。私のせいで不快になった方がおられたら本当に申し訳なかったと思う。

ホリィ・センさんのゲームマスターとしての素晴らしさ

  私の無能ぶりとは対照的に、ホリィ・センさんのゲームマスターとしての能力が光った場面があった。第一試合の初日、皆がまだどうしていいか分からず沈黙になった時、「占いなしでランダムに処刑すると村サイドの人を処刑する確率は6/8ですね」とさりげなくヒントを与えたのだ。これが絶妙で、その一言をきっかけに試合は一気に盛り上がった。人狼経験者と初心者が入り混じる試合を皆が楽しめるように取り仕切るのはそう簡単なことではない。私がゲームマスターだったら「初日は占い師が出るのがセオリーです」とプレーヤーを誘導して自発性を奪うようなことを言ってしまうか、あるいは一切ヒントを与えないか、その両極端だと思う。その点ホリィ・センさんは客観的な事実を告げて経験者と初心者の差をさりげなく埋めつつも、その事実をどう解釈してどう行動するかはプレーヤーに委ねることで、ゲームへの介入を必要最小限に留めている。このパターナリズムリバタリアニズムの絶妙なバランス感覚こそがホリィ・センさんの真骨頂であり、カリスマ性の源泉でもあると思う。それがこの一言に象徴的に表れたのだ。やはり凄い人物だと再認識させられた。

*1:ルール等はここでは述べないので各自調べて頂きたい。

*2:占い師を全て処刑すること。