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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

神様同好会第三回で面白かった内容

 10/21(月)の神様同好会第三回は面白い内容が多かった。その中に一つの共通点のようなものはまだ見つけられていないが、下記に箇条書きで書き留めておく。なお、参加者の語りの内容は「」内に表現し、「」に入っていない部分は私の個人的な所感である。

 

  • 「小中高大と一貫して創価系の学校を卒業した友人がいたのだが、就活でも差別されたり、奇異や偏見の目で見られたりなど、大変なことも多いと聞いた」→公明党が与党に入っていたり、創価学会が日本で最も強い(と思われる)宗教団体であることもあって、私のような外部の人間からすると「創価=強者、支配する側」というイメージが強かった。それだけに、学会員がマイノリティ性故に苦しむ場面もあるというのは、言われてみれば当たり前なのだが、今まで想像したこともなかった。絶対的な強者などいない。目から鱗が落ちた。
  • 「ある日街で、手かざし系の信仰者に『あなたの幸せを祈らせてください』と言われた。もちろん入信はしなかったが、不思議と悪い気はせず、むしろ救われた気がして嬉しかった。これは、赦しが『無文脈性』を持ってやってきたこと、つまり『理由なき証人』と言えるのではないか。」→よくよく考えると、他人の幸せを祈る行為それ自体が悪いことである訳はないな、と思った。
  • 私達は、ピラミッド性のある組織を指して「宗教っぽい」と言いがちだ。宗教は悪いものであるという前提の下で言葉を運用している。
  • 「私は宗教の教義というものは基本的に信頼していない。ただ、空海の伝記を読んでその人柄に感銘を受け、真言宗を学んでいた時期がある。」→教義ではなく教祖の人物像から入信するという経路は今まで全く考えたことがなかったが、そういう人はかなりの割合いるのではないかと気づかされた。裏を返せば、教祖が存命である多くの新興宗教の場合、教祖のことを人間として好きになれないと入信は難しいかもしれない。そこに、新興宗教が持つ最大の弱点がある気がする。その点、信仰対象が形而上学的存在、あるいは何千年も前の人物である宗教は強みがある。
  • 「伝統仏教の僧侶がラジオをやっていたのだが、同門や他宗の僧侶の陰口、悪口ばかりで幻滅してしまった。やはり聖職者にはある程度高潔な人格を期待したい。」→これに限らず、時代に合わせて、今まで仏教に興味の無かった層にアプローチしようとする試みは数多い。それ自体は良い事だが、本質やニーズを見誤ると手段が目的化して簡単にこうなる。この宗派だけでなく浄土真宗でもしばしばある話。
  • 宗教に限らず、居場所全般において、あいつがいるんだったら俺は行かない、ということが頻繁に起こり得る。どう対処すべきか。→「そういう状況は、特定の人物に発言権が集中した場合に起こりやすい。場から権力性をできるだけなくすことが大事。」「そもそも場に権力性が発生してしまっている場合、その集まりの趣旨自体を前提から疑ってみるのも大事なのでは。」