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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

物語の中で「異性愛」を描くことの困難さについて

 非常にセンシティブなことについて記述することになろうかと思うので、鍵括弧や留保が非常に多くなりますがご容赦ください。
 まず、そもそも多様な人間の在り様を「同性愛」「異性愛」という二分法で分けること自体に色々な異議があって当然だと思います。ただ、そういう概念を導入しないとこの先の話に進むことができないので、あくまで話を進めるための手段として、そうさせて下さい。ここで、議論の便宜のために人間の複雑性を捨象することはどの程度許されるのか、それは人権侵害につながるのではないか、という意見もあると思いますが、これは巨大すぎて私ごときには到底扱いきれない論点なので、ここでは控えさせていただきます。

 さて、まず現実のこの世界について考えたいと思います。既に特定の(あるいは複数の場合もあると思いますが)パートナーを持っている人を除くと、私達は、同性と異性、どちらと接している時間の方が長いでしょうか。おそらく、「同性である」という人の割合の方が高いでしょう。にも関わらず、何がしかの理由によって、異性愛者がマジョリティとなり、同性愛者はマイノリティとなっています*1。その理由を、社会規範に求める人もいれば、いわゆる生物学的なところに求める人もいると思います。そのどれが正しいとか間違っているなんてことは私には分かりませんし、本稿において重要なことでもありません。いずれにせよ、そういう状態になっている、ということは否定しがたいところだと思います。

 では、物語の世界ではどうでしょうか。めちゃくちゃ乱暴ですが、確かに、太古から今まで作られてきた全ての物語の登場人物を、無理矢理、同性愛者と異性愛者に分けないといけないとしたら、おそらく異性愛者に分類される登場人物の方が多いでしょう(統計を取ったわけではありませんので、それも間違っている可能性はあります)。では、ここ最近の十年以内に開始された物語に限って言えばどうでしょうか。私は、正直言って、これは本当に分かりません。同じくらいか、もしかしたら同性愛者の登場人物の方が異性愛者の登場人物よりも多い可能性は十分あります*2。現実世界においては未だに異性愛者がマジョリティ、同性愛者がマイノリティであるように見えるにも関わらず、何故物語世界はこのようになっていっているのでしょうか。

 これは、恋愛*3を題材にした作話者の立場になって考えると少し分かるような気がします。さっき述べたように、現実世界でも同性同士の触れ合いの方が長い傾向にある訳ですが、これは物語世界でも似たことが言えます。つまり、同性同士の方が自然に絡ませやすいので、いきおい会話も多くなり、一緒に居る時間も長くなり、関係性を深堀りしやすい。となれば、その関係性が恋愛関係という形で発露したとしても、何の不思議もありません。従って、物語世界では同性同士が恋に落ちることはごくごく自然な流れと言えるでしょう*4

 逆に言えば、物語世界で「異性愛」を描こうと思ったら大変です。主に方法は二つあって、①何らかの理由を付けて異性といる時間を長くする ②共有している時間は同性よりも短くても、その異性のほうを選ぶ理由を付ける だと思います。異性愛を描いた漫画の中で私が特に好きなのは「味噌汁でカンパイ!」(笹乃さい)と「微熱空間」(蒼樹うめ)ですが、前者は幼馴染、後者は義姉弟という理由付けがあって一緒にいることができるようになっているので、①に当てはまるでしょう。逆に②のほうで読者が納得がいくような理由付けをしようとしたら、本当に大変だと思います。仮に私が読者だとして、今まで同性のキャラクター同士の関係を中心に描いてきたのに、急に描写が薄い異性と恋愛関係に入ったら違和感を感じます。これが現実世界だったら、良くも悪くも「まあそういうこともあるでしょ」「恋愛ってそういうもん」「本人が決めたこと」と言って済まされると思いますが、現実世界とは違って、もっと言えば、現実世界で往々にしてそういう風になっているからこそ、物語世界ではちゃんとした理由付け、根拠が求められます。もしそこで作者が「いやそりゃあ恋愛は男と女のもんだからですよ。そこにそんないちいち理由とか要りますか?」などと答えたら、どうなるでしょうか。おそらく炎上どころでは済まない大変なことになると思います。もしそこまで酷い発言をしなかったとしても、ただでさえセンシティブで、現実と関連付けられがちなのが恋愛物語です。「この作者は『異性愛こそが正しい』という歪んだ規範を内面化している」といった批判は免れないでしょう。実際、物語がそうした抑圧的な作用をもたらす場合もあることは否定しづらいところです。

 そういうわけで、物語の中で「異性愛」を描くことは、困難になってきているし、これからもより一層困難になっていくと思います。皆さんは、どうですか?

*1:少なくともそう考えられているということは言えるでしょう。

*2:もちろん、いわゆるバイセクシャルと見做されるような登場人物もずいぶんたくさん出てきました。

*3:性愛と記述した方が誠実な気もしますが、ここも大論争になるところなので、大変すみませんがこの稿でその論点を扱うことはしません。

*4:言うまでもありませんが、現実世界では同性愛は自然ではない、異常だ、などという意味では全くありません。念の為。