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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

滝本竜彦「ライト・ノベル」読書会で印象に残った発言

 11/16,17の計二回にわたって標題の通り読書会を開催したところ、計十数名のご参加をいただきました。本当にありがとうございました。

 以下、備忘的な意味も込めて、個人的に印象に残った発言を抜粋箇条書きし、残しておきたいと思います。

  • 薬物体験においては、作中にあるような、物語、絵画等の芸術作品の中に囚われている感覚は実際に起こり得る。
  • フロイトなどの心理学を学ぶと、この作品に限らずフィクションの読解には役立つ。
  • 文章は読みやすいのに、なぜか読みにくさを感じた。
  • 精神世界に深く潜っていく作品であるにも関わらず、肉体が悪とされていないところが興味深い。
  • ママの性欲の問題は結局解消されていないのでは?→ママに本当に必要だったものは他者性であり、めたとんが入ることによって人見知りも改善し、子離れできたのではないか。
  • 物語冒頭でも扉を開き、最終ページでも扉を開いており、明らかに円環構造を意識しているところは示唆的。
  • 平成が終わる昨年の終盤というタイミングで「ライト・ノベル」というタイトルで出版された本作には、平成を象徴する文化であるジャンルとしてのライトノベルに終止符を打つ、集大成的な意味を持たせたかったのではないか。
  • 作者はスピリチュアリズムに傾倒しているが、今作にはスピリチュアリズムとエンタメ性は両立可能であることを示し、「光の小説」という新ジャンルを打ち立てようとする意気込みを感じる。そしてそれは一定程度達成されていると思う。
  • 「NHKにようこそ!」や「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」に比べて、キャラクターの個人的な行動動機が薄く、キャラクターに魅力をあまり感じなかった。かなり抑制的なキャラクター描写だと感じた。
  • では、もっとキャラクターを萌え萌えにするにはどうしたらよいか?→主人公と、めたとん・山田エリス・未沙は、通常の人間的感情を深く超えたところで通じ合ってしまっているので、萌えという人間的関係性から生まれる魅力を描くのはそもそも不可能だろう。強いて言えば耶麻川には萌えの可能性を感じる。
  • それでも、本作に対しては、読書会の参加者の中では「面白かった」「構成が上手いので読ませる作品になっている」といった肯定的意見が多数を占めた。
  • スピリチュアリズムとエンタメ性を両立した作品をどれだけ生み出していけるか見てみたいという、滝本氏の今後に期待する声が多かった。それはやはり、滝本氏は何かを創作せずにはおれない人だという信頼に依るところもある。
  • これは2chなどの従来の滝本作品ファンのコミュニティにおいて「滝本氏はスピってからつまらなくなった」などと言われがちなのとは対照的である。これは読書会で皆で丁寧に読解をしていった結果だと思われる。個人的には嬉しい。
  • 最後に耶麻川が闇の魔術師に光のペンを渡すシーン。ここに本作の中心テーマが現れている。つまり、存在の全ては光であり、人々は皆探索者であり、愛を伝えられる存在である。決して完璧な人間などいないが、人は誰かに対して光をもたらすことができる。本作の読者も含め、人間は皆、闇の魔術師であると同時に探索者なのだ。闇の底で生きていくために、他者や様々な存在・概念から光を受け取っていくのだ。
  • 終幕後、耶麻川が目を覚まして最初に目にするのはふみひろであろう。そこで初めて、ふみひろと耶麻川は、人間的な意味での、本当の「ボーイ・ミーツ・ガール」を果たすのだろう。