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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

介護現場から見る日本経済 ―ブラック労働・新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発―

【摘要】

 我々が生きる資本主義社会を駆動する思想は、ウェーバーが喝破したように、プロテスタンティズムであると長らく考えられてきた。しかし、筆者は介護ヘルパーとの交流を通じて、一般的に「ばっちいもの」「傍流」と見なされがちな、新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発といった諸思想も、日本の経済・既存の社会体制、特にケア職などの産業セクターを維持する上で大きな役割を持っていると考えるようになった。従って、社会学や労働経済学といった学問においては、こうした諸思想も射程に入れていくべきだ。

 

【動機】

 筆者は自らのブログに「障害者から見たヘルパーさんと介護業界」[1]という記事を書いたことがある。これは、介護ヘルパーが極めて過酷な状況に置かれていること、また、経営者・ヘルパー・障害者の間の緊張関係について描写したものである。その中で、体感的事実として、ヘルパーの中に新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発といった諸思想に傾倒している者が多いこと、また、彼らの提供するサービスの質は概して高く、事業所経営者や障害者とのトラブルも少なく、勤務態度も極めて良好であることを指摘した。新たに付け加えるならば、経験年数の長いヘルパーほどこれらの傾向が顕著である。

 もしこれらが事実であると仮定すれば、それは一体何故だろうか。また、そのことは労働市場全体の中で見た時どのような意味を持つのだろうか。これについて考察してみたいと考え、本稿の執筆に至った。

 なお、本稿には一切エビデンスが無く、あくまで筆者の独断と偏見に基づくエッセイに過ぎないことを予め断っておく。

 

【本論】

  1. 市場決定性と労働流動性

 まず確認しておきたいのは、あるサービスについて考える時、それ自体の価格決定メカニズムと、そのサービスを供給する労働力の価格決定メカニズムを同一視してはならない。ここは非常に重要な所であるが、意外にも(時には主流派の経済学者にさえ)見落とされがちな視点である。もちろん、この両者は密接に絡み合っている場合もあるし、むしろ近代経済学的世界観では、そうなっていなければおかしいのである。しかし、その法則性を全ての産業セクターに一般化してしまうと、思わぬ落とし穴にはまることになる。

 このことを分かりやすくするために、図1のような表を作ってみた。以後、図1のフレームワークに沿って論を進めていく。少々乱暴な感はあるが、お許しいただきたい。

 

図1 サービス価格の市場決定性と労働市場の流動性から職業を四分類した表

  市場決定性(均衡価格) 市場決定性(公定価格)
労働市場流動性 ①プログラマー、データサイエンティスト、パートタイマー、フリーランサー、風俗業など ③ヘルパー、保育士
労働市場流動性 ②民間企業の正社員 ④公務員、(医者、看護師、薬剤師)

 

 それでは、①~④について、職業・サービスの特徴と、それらに従事する労働者の賃金がどのようなメカニズムで決められているかを見ていきたい。

 

 まず、①のカテゴリーは、そこで取引されるサービスの価格に政府が介入する余地は無い。つまり、需要と供給に基づき市場によって決定される均衡価格に従うことになる。また、そのサービスを供給する労働力についても、参入障壁や解雇規制などは少ない。よって、労働市場の流動性も高くなる。この二つのことを考え合わせると、①は最も古典的経済モデルで説明しやすいカテゴリーと言える。

 しかし、①だけで世の中がまわっているわけではないことが重要である。

 

 ①の対極にある④の中で、公務員は比較的分かりやすいであろう。公務員が提供するのは、市場では十分に供給されない公共財であるから、その価格が市場により決定されることは無い。

 また、労働市場の流動性も極めて低い。公務員になるためには、多くの場合、高倍率かつ年齢制限のある試験を突破する必要があるため、参入障壁が高い。一方、一旦公務員の身分を得た者は身分が保証され、余程のことがない限り解雇されない。また、短いスパンで部署の異動を繰り返す公務員は専門性を身に付けづらく、民間では通用しないと見なされている。従って公務員としても、その職を辞してまで、自らに低い価値しか付与してくれない民間の労働市場に打って出ることは難しい。これら三つの事情が重なり合って、流入も流出も極めて少ない硬直的な労働市場が形成されている。

 この二つの特徴を併せ持つ公務員の賃金は、人事院勧告によって半自動的に決定される。人事院勧告は国家公務員の給与を決定するものであるが、これは民間の給与指標に近似する形で決定される。また、地方公務員の給与も、首長の政治的判断はあるにせよ、殆どが人事院勧告に準拠することになる。そこに市場のダイナミズムは無い。

 

 さて、問題は、④にかっこ書きで示した医者、看護師、薬剤師である。医療関係のサービスの価格は、基本的に国が公定するものであることには異論は無いだろう[2]。一方、労働流動性の方はどうだろうか。確かに、病院間、薬局間での移動や、勤務⇔独立といった形態間の移動は珍しくも無いだろう。そういった意味では、公務員よりは流動性が高いと言えるかもしれないが、それは彼らが医療従事者でなくなることを意味しない。勤務先や勤務/独立といった形態の変化こそあれ、基本的に医者は医者、薬剤師は薬剤師、看護師は看護師であり続けるだろう。つまり、医療関係の労働市場においては、難関試験という参入障壁により流入が厳しく制限される一方、いったん資格を取得してしまえば(一部過酷な勤務実態も存在するとはいえ)高給が約束されることから、わざわざそこから流出していくインセンティブは少ない。この二つのことを考えあわせ、医療関係職種を③ではなく④に置いた。ヘルパー・保育士と医療関係職種を比較した時、両方とも同じケア職でありながら、なぜ前者は③で後者は④という風に分かれるのかは、重要な論点であるため後述する。

 

 ここで、先に②に触れておこう。民間企業が供給するサービスの価格が基本的に市場で決定されることは認めるとして、それらサービスを担う労働力の市場も同じ仕組みで動いているわけでは全くない。特にここでは正社員に注目する。労働基準法の関係上、いったん雇った正社員をスパスパスパスパ解雇したり、劇的に給与を減らしたりすることは至難の業である。特に企業の規模が大きくなればなるほど、法的な縛りがきつくなる上、労働者も組合を結成したりするため、余計に難しくなってくる。その結果として、賃金は労使間協議の合意に基づいて決まっていくことになる。一種のコーポラティズムというと誤用になるかもしれないが、ここで強調しておきたいのは、①のように個々人が供給するサービスの価格が個々人それぞれの賃金を決定するという世界観とは全く異なったメカニズムが働いていることである。もちろん、会社という組織で互いに協力して仕事をするため、社員個々人のアウトプットを正確に測定しづらいという理由もあるだろう。

 

 さて、いよいよ本稿のメインテーマである③の考察に入りたい。③は、ヘルパーなら介護報酬、保育士なら保育料という形で、サービスの価格は国(およびそれに準拠して自治体)が公定する。

 しかし、前述した医療関係職種と比べると、労働市場の様相は大きく異なっている。まず、参入障壁が少ない。ヘルパーに絞って考えてみる。本来は介護福祉士、ヘルパー一級、ヘルパー二級という資格の序列があり、取得の難易度は大きく違う。ところが、介護現場ではどの資格を持っているかなど殆ど問われないと言って良い。そしてヘルパー二級の資格はかなり簡単に取得できるため、主に他の仕事に適応しにくかった労働者が「ひとまず手に職を付ける」「職歴をつなぐ」「食いっぱぐれない」ための消極的選択肢として大量に流入してくることになる。

 一方で、介護職を辞める、つまり介護労働市場からの流出も非常に大きい。先ほど、介護をするにあたって取得資格が問われることは殆ど無いと述べたが、これは換言すればキャリアパスが無いということでもある。ヘルパー側が一生懸命高位資格を取得したり、介護の質[3]を高めても、そもそも公から入ってくる介護報酬が低すぎることもあって、給与に反映されようがないのだ。加えて、前述のブログ記事でも述べたような過酷な労働環境である。結果として、有能な人材であればあるほど①、②、④のカテゴリーに脱出していく。

 この二つの事実に、介護事業所間・保育所間の転職も非常に多いことを考え合わせると、③は労働市場の流動性が高いといえるだろう。

 

 この③というポジションの労働者は、賃金の決定メカニズムにおいて非常な困難を抱えることになる。

 第一に、労働市場の流動性が高いために、きちんとした組合を組織することができない。組合を作って交渉などするよりもさっさと転職した方が手っ取り早く合理的である。つまり、②のような労使間協議による賃金決定メカニズムは閉ざされている。

 第二に、サービスの価格が市場ではなく公共セクターに公定されること。これは、利用者を保護するためにある程度致し方の無いことではあるが、これによって①のカテゴリーからも除外されてしまう。

 第三に、その公定価格が低すぎること。これがまさに前述した医療関係職種との違いであり、ヘルパー・保育士が④のカテゴリーに入っていくことを阻んでいる。これは端的に業界団体の政治力の差に起因している。ヘルパーの数は相当多いはずだが、強い政治力を持っているという話は聞いたことが無い。例えば医療業界だと日本医師会という約60%の組織率[4]を誇る業界団体があり、診療報酬の決定に強い影響力を持っている。ではヘルパーの業界団体はどうだろうか? 調べてみたところ、一応存在はしているものの、なんと組織率が約3%強しかないというのである[5]。確かにヘルパーからも業界団体に入っているという話を一度も聞いたことが無い。これではとても介護報酬の引き上げに影響力を持つなど不可能だろう。

 第一から第三までの要素は、それぞれ独立して存在しているのではない。それぞれがそれぞれの原因であると同時に結果でもあるというように、複雑に絡み合って悪循環を形成している。そのスパイラルが劣悪な労働環境・高い離職率・人手不足といった社会問題として顕在化していることは周知のとおりである。

 

  1. ヘルパーであり続ける人が依拠する思想

 介護現場とは、ヘルパー・事業所・障害者の三者間での絶えざる緊張状態の連続である。ところが、事業所や障害者とトラブルも起こすことなく、長年にわたってヘルパーであり続け、常に高い質の介護サービスを提供し続ける人も存在する。彼らには二つの大きな特徴がある。

 第一に、シングルマザーであるなど、労働市場において劣位に置かれがちな属性を有していること。

 第二に、何らかの新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発などを信奉している割合が非常に高いことである。「新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発」とひとくちに言っても、それは二種類に大別される。一方は、自分を変えていくことで成功へのチャンスを掴んでいくというような、上昇志向の強いもの。もう一方は、自分が置かれた境遇をあるがままに受け入れ、役割を誠心誠意全うすることこそが尊く、幸福への道であるというような、現状肯定の色が強いもの。ヘルパーの多くが傾倒し、また本稿でも言及するのは、後者の方である。

 

 では、多くのヘルパーがそういった思想を信奉する理由は何か。ここからは推測になるが、やはりヘルパーを長く続けていくということは並大抵のしんどさではない。その上、三人の子供を一人で育て上げないといけないというような状況も珍しくない。さりとて他業種への転職もままならないとなった時、彼らは現状を受け入れる覚悟を決めるのだろう。しかしそれには心のよりどころが必要である。社会的に評価されることは少ない彼らの必死の頑張りを唯一承認し、現状を肯定し、励ましてくれる思想があれば、そこに手が伸びるのは半ば必然と言えるだろう。

 

 これらの諸思想は、肯定的に見れば、ヘルパー・事業所・障害者の間に本質的に存在する対立を緩和する役割を果たしている。つまり、世間的には「ばっちいもの」とされがちなものが、介護現場という日本社会の巨大な部分を間接的に支えていると言っても過言ではないのである。もちろん否定的に見れば、これら諸思想がブラック労働に正当性を与え、ヘルパーの待遇改善という抜本的解決を阻み、社会改革を阻んでいるとも言える。この両側面のどちらを重視するかは人によって判断が分かれるところであろう。

 

【結論】

 今後日本経済を分析する際、従来の新自由主義・プロテスタンティズム・社会主義・コーポラティズム・労働組合・公共財といった概念だけでは不十分である。日本経済を密かに動かす隠し味、それが「新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発」なのである。

 敢えて断言しよう。労働経済学にせよ、社会学にせよ、「新宗教・スピリチュアリズム・自己啓発」を射程に入れた研究が今後のトレンドになるだろう。それは日本経済を、ひいては日本社会を正確に捉える際に、どうしても必要なことだからである。

 

[1] https://double-techou.hatenablog.com/entry/2018/10/14/074000

[2] 保険外の医療サービスなど例外も一部存在するが、ここでは取り扱わない。

[3] これがそもそも測定しにくいのも大きな問題である。

[4] https://www.med.or.jp/nichiionline/article/005355.html

[5] https://www.minnanokaigo.com/news/nakamura/junyaishimoto1/