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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)です。文春オンラインなどに執筆しているライターです。令和は純愛の時代である。

旧友

「薬とか飲むの怖くないの?」

と古田が言った時、僕はちょうどテイクアウトしたフライドチキンの軟骨の部分を平らげようとしていたところだった。ショッピングモールの屋外テラスでは、下手な大道芸人が観客に拍手を強要していた。

「つまりさ、自分が自分であるっていうことを担保してるのは自我の連続性でしょ。コンサータだのブロンだのデパスだの飲んだらさ、そこが不連続になるわけじゃん。何が本当の自分か分からなくなったりしない?」

 僕は例によって、古田と遊ぶ約束をしたことを後悔し始めた。こいつはいつもそうだ。意識的にか無意識的にか、人の神経を逆なでするようなことばかり言う。10年間、ずっとそんな調子なのだ。実際、高校時代古田の友人は僕一人だった。まあもっとも、当時僕の友人も古田だけだったのだが。

「君はSF好きだろ? その割に随分ナイーブな世界観を持ってるんだな。『本当の自分』とかさ。」

「いや、それは関係なくないか。」

 軟骨を噛むとそれは意外なほど硬くて、歯の奥に嫌な感触を残した。喉の奥にザラザラとした破片が消えていく。

「じゃあさ。僕が今日、ブロン飲んでるか分かるか?」

 冷たい風が吹いて、チキンが入ったビニール袋がカサカサと音を立てた。僕は明らかに苛立っていた。

「分からないだろ? ならその程度のもんだよ。自我や自己同一性なんて。本当の自分なんて。」

 古田は僕の剣幕に少し驚いたようだった。数秒、間があった。

「そういうことじゃないよ。」

 そんなことは分かっていた。

「他人から見てどうかじゃなくて、自分の主観の問題。」

「ゴミ箱ってどこだったけ?」

「薬を飲んだらどんな感じなんだ? なあ、教えてくれよ。」

 古田の言葉にはいつの間にか懇願するような響きが混じっていた。それは彼には珍しいことだった。彼にも何かあったのかもしれないな、と思う。別にそれ自体珍しいことではない。誰しも生きていれば色々なことがある。

「そんなに気になるなら飲んでみろよ。」

 僕は鞄からコンサータ、パブロン、ブロン、と取り出して順番にテーブルに並べていく。ちょうどエビリファイを並べたあたりで、古田は

「分かったよ。もういいって。やめろ。」

と言った。僕は黙って一つずつ鞄に薬を戻した。薬包紙がガサガサと耳障りな音を立てる。僕は酷く惨めな気持ちになった。

 僕らはしばらく大道芸人のパフォーマンスを見ていた。ジャグリングはその間にも何回か失敗した。おもむろに古田が口を開いた。

「なあ、一つだけ聞いていいか?」

「もう何個も質問しただろうがヨイ。」

と僕はあえておどけた口調で言ったが、古田は意に介さず続けた。

「薬を飲んでる時の自分と飲んでない時の自分、どっちが本当の自分だと思う?」

 無意味な質問だと思った。こいつらしくない。僕は

「ナンセンスだな。」

と言った。古田は少し笑い、

「それもそうか。ごみ捨てに行こう。」

と言って立ち上がった。

 

 良く晴れた日曜日の昼下がりだった。広場は子供の笑い声であふれていた。ゴミ箱は広場の反対側にあった。僕らはゆっくりと並んで歩いた。

「僕からも、一つ質問していいか?」

 古田は

「おう。」

と短く答えた。

「僕の高校の時のこと、君は覚えててくれるか? 僕が高校の時、どんな人間だったか、これからも覚えておいてくれるか?」

「まあ細かい感情とか出来事は徐々に忘れていくだろうな。」

 古田は相変わらず容赦が無かった。

「でも、君が高校の時どんな人間だったかくらいはこれからも覚えてると思うよ。卑屈なくせにプライドが高い。鈍いくせに傷付きやすい。頭良さそうに見えてそうでもない。優しそうに見えて他人に関心が薄い。要は鼻持ちならないめんどくさい奴だったな。」

 ああ、こいつはやっぱり心底性格が悪い。でも僕は妙に嬉しかった。急に全てのことが大丈夫だと思えた。僕はどんな自分にもなれる。これからどんなに僕が変わっても、こいつが僕のことを覚えていてくれる。何も怖くない。

「ありがとう。」

と僕は言った。

「は? どМかよ。キモ。」

「あ、やっぱ撤回。言っとくけど、君の方が百倍めんどくさいから。鏡見たことあります? ブーメラン刺さりまくりですよ?」

と言いながら、僕はその日初めて自分が笑っていることに気が付いた。古田もつられて笑っていた。

 

 元いたベンチに戻ってくると、ちょうど大道芸人のパフォーマンスが終わったところだった。拍手はまばらだったが、何故か耳に心地よかった。僕たちはしばらくその音に聴き入っていた。