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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

姉について語るときに私の語ること

 私の姉は、どちらかというと内向的で、読書ばかりしている目立たない人でした。でも頭の中では色々面白いことを考えていて、自分の世界を持っている人でした。

 姉には小説を書く傑出した才能がありました。私は姉の小説を読むのが大好きでした。姉は、恋愛やSFやバトルといった派手な要素は何一つ描きませんでした。しかし、誰もが素通りしてしまうような日常のなにげない一場面を切り取って美しい物語にすることは、誰よりも得意でした。姉の小説は淀みなく流れる小川のようなものでした。

 姉が小説を書かなくなっていったのは28歳の頃だったと思います。代わりに、何かに憑りつかれたかのように婚活に狂奔するようになりました。毎日毎日、うわ言のように「結婚せにゃあいけん、とにかく結婚せにゃあいけん」と言う一方で、「婚活なんかしたくない」とも言っていました。私はなんだか空恐ろしくなり、「じゃあ婚活なんてやめれば? なんで結婚せにゃあいけんの?」と聞くと、姉は「あんたには一生分からんじゃろうね。結婚せにゃあいけんのんよ。そういうもんなんよ。そういう風にできとるんよ。しょうがないんよ。」と答えました。姉はそれまでに見たことの無い表情をしていました。その時の姉の表情を、おそらく私は一生忘れないでしょう。でも私がそこから読み取れたのは何か非常に強い切迫感だけで、他のことは結局のところ何も分からずじまいでした。私は無性に悲しくなりました。

 私は今でも時々このことを思い出します。そういう時に決まって連想するのが、村上春樹氏がエルサレムでのスピーチ*1で放った言葉です。彼が小説を書く時に常に心に留めているという言葉です。

 高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ

  村上春樹は、姉が一番好きだった作家です。中学の頃から十数年間、暇さえあれば彼の本をボロボロになるまで読んでは、「村上春樹がいかに凄いか」を嬉しそうに私に話してくれました。姉が話してくれた内容は殆ど忘れてしまいましたが、上述のスピーチの言葉だけは不思議と覚えています。姉が村上春樹の素晴らしさについて語る時、まるで自分のことのように得意満面になるので、私は可笑しくてつい吹き出してしまうこともありました。でも、姉の語りに付き合わされる時間も、私は決して嫌いではありませんでした。