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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

人生相談の暴力性と難しさについて

 この前読了した本がこちら。

哲学の先生と人生の話をしよう

哲学の先生と人生の話をしよう

 

  お悩み投稿に対して哲学者國分功一郎が答えていくという形式である。読み物として大変面白かったのだが、人生相談というものが持つ問題点を二つ感じた。

 一つ目は、相談者が立てた問いの枠組み自体を回答者が変更してしまうこと。もちろん、相談者は自らの問題の立て方では行き詰っているからこそ投稿してくるのだから、いたしかたない面もあろう。それでも、「聞いたことに答えてもらえなかった、はぐらさかれた」と感じる人も多いだろう。

 二つ目は、回答者が相談内容から勝手に「相談者の無意識、本当の欲望、言外の事情」といったものを読み取り、それを前提に話を進めてしまうこと。話を広げるためとはいえ、自分の思っていることを他者に決定されてしまう点で非常に暴力性を孕む行為だと思う。「お前は実はこう思っているのだ」という決めつけに基づいて話を展開するやり方は、相談者にとって考えるコストが低い上、強引に自分の土俵に持っていけるので用いられやすい。

 

 また、相談者側から見て難しいと感じたのは、自分の悩みをどの程度まで整理して語れば良いかという問題である。自分の身の回りに起こったこと全てを雑多に綴っただけでは、当然相談の体を為さない。従って、相談者は自らの体験を一定の問題意識に基づいて切り取り、整理し、「問い」として体系化しなければならない。ところが、当然この作業には相談者の価値観、バイアスが多分に入り込むことになる。結果として、「問い」として提出された段階で、既に相談者にとって答えようのない内容になってしまう場合が多いのである。実際、本文中で國分は「一般化、抽象化された相談には答えられない。削ぎ落されたディテールこそが重要であり、答えはその中にしかない。」という趣旨のことを繰り返し述べている。しかし、この相談内容の取捨選択を悩みの渦中にある者が適切に行うことは容易ではないだろう。

まとめ

 相談を適切に行うにも以下の技術が必要である。

 ①信頼できる相談者を探す技術

 ②相談内容を適切に整理する技術