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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

滝本竜彦「超人計画」感想

 

超人計画 (角川文庫)

超人計画 (角川文庫)

 

  極めて雑に要約すると、「欲望に向かう」→「ルサンチマン」→「無」→「欲望に向かう」→…というループから人間は永遠に抜け出すことができないという諦念を描いた作品と言えると思う。

 まず、「欲望に向かう」、つまり何かに価値を認め、追い求める段階がある。作者の場合は「彼女を作ること」や「小説を書いて成功すること」などが欲望の対象である。この欲望に向かっていこうと決意しそれに打ち込んでいる間は幸せである。

 だが、現実には欲望が100%満たされることはない。欲望に向かえば必ず挫折を経験する。そこでルサンチマンが出てくる。傷ついた自意識を癒す必要が生まれる。作者の場合には、「レイ」というイマジナリーフレンドを生み出し、その役割を与えた。ただしこの段階ではまだ外界(他者)への興味や欲望を失ってはいない。外界(他者)への興味や欲望があるからこそ、自意識も生まれるし、その傷を癒すレイも必要となるのだ。

 しかし、作者は段々とルサンチマンに耐えられなくなっていく。心をダメージから守るため、次第に全てを相対化し、無意味なものと捉えるようになっていく。こうなってくると外界(他者)への興味や欲望が無くなるにとどまらず、初めからそんなものは無かったのであり、そう思い込もうとしていただけだったのだと感じられるようになる。外界(他者)への興味や欲望がなくなれば当然自意識も消える。レイも消える。心は無になる。それは痛みや苦しみのない、ある種平穏な状態である。

 しかし同時に作者は、この虚無に耐えられないであろうということも予感している。「超人ロードは円環を描いている」「また別の夢が始まるだけなんだろう」*1とあるように、人間は「無」に耐えることができない。再び何かしらの欲望や目的を捏造し、そこに身を投じて行かずにはおれないのだ。それがどんなに徒労だとしても。

 私は今まさに「無」の状態にある。私にもいつか「また別の夢が始まる」時が来るのだろうか。そして滝本氏は果たして円環から抜け出すことができたのだろうか。いずれにせよ、滝本氏が幸せであって欲しいと切に願う。

*1:p.216