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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。多くのヘルパーさんのお陰で一人暮らしができています。

VRと障害者 ―インターネットを侵食する肉体―

 私はVtuberが大好きである。ときのそら、富士葵、もちひよこ、ねこます、芙容セツ子、輝夜月、スズキセシル、つのはねあかぎ…(敬称略) 好きなVtuberの方々は他にも数え切れないほどいるが、私が最も感銘を受けた動画はこれである。


誰もがなりたい自分になれる時代 / バーチャルとファッション【neralの難しくない話】#002

 淡々とした語り口でありながら、聴く者の心を激しく高揚させる。天才的イデオローグとしか言いようがない。

 詳しくは是非neral氏の動画をご覧頂きたいのだが、私が感動したのは「生まれ持つ体は選べないのに、それを”ありのままの自分”として愛せるべきだって考え方も疑問だなって」「選ぶことのできない生まれ持った体を愛せなくてもそれは悪じゃないはずです」「むしろ、自分の意思が何ら反映されていないものの責任を取らされて、生涯有利になったり不利になったりしていることのほうが理不尽なんじゃないか」というくだりだ。私は脳性麻痺によって奇妙に湾曲した肉体に生まれ、そのことを絶えず父から責められ、自分でもこの醜い容姿が嫌で、そう思ってしまう自分はもっと嫌で、ずっと苦しんできた。そんな私が、neral氏の説く「バーチャルやファッションによって肉体を乗り越え、魂の姿になることができる」という思想にどれだけ勇気づけられたかは、言うまでもないだろう。私はVRに駆り立てられた。Vtuberになるぞ。VRChatに入るぞ。今すぐこの汚らわしい肉体を打ち払って、魂を解放せねばならない。

 しかしそこで私はハタと気付いた。私がVIVEやOculus Riftを買ったとして、一体どこにトラッカーを付けるというのだ? 私の体のうちわずかでも動くのは頭と左手だけである。それ以外の場所にトラッカーを付けても、麻痺で物理的に動かないのだから意味がない。なんということだろう、私はVR上でも自分の肉体から逃れることはできず、依然として障害者だったのである。

 この時、私はVRブームには「魂の肉体からの解放」とは真逆の側面があることに気付いた。それは「インターネットへの肉体の侵食」である。

 元々黎明期のインターネットでは文字のやり取りが中心であった。それが徐々に画像、音声、動画、とやり取りできるデータの種類が拡大し、VRに至っては「三次元の肉体の動きそのもの」を「望んだ姿で」リアルタイムにやり取りできるようになったのである。この「望んだ姿で」という部分に着目すれば「魂の肉体からの解放」という捉え方になるが、私はあえて「三次元の肉体の動きそのもの」をやり取りしているという部分に着目したい。

 そもそも、VRが登場する前から、人々は様々な手段でインターネット上で自己表現をしてきた。テキストサイト全盛期には文章を書き、画像のやり取りが容易になれば絵を描き、動画サイトができてからは音楽や映像を制作してきたのである。言い換えれば、身体的な情報が制約された中で、文字、絵、音、映像等のフィルターを介して自己表現をしてきたのである。*1

 ところが、VRChatやVtuberのClusterライブで交換され、消費されるのは、目の前で行われる「身体の動き」そのものである。VRChatのアバターやVtuberが動いている時、その裏側では必ずアクター(中の人)も肉体を動かしている。ネット上のコミュニケーションと生身の肉体の運動がここまで強く直接結び付けられることは今までなかった。「肉体がネットを侵食する」新たな時代が幕を開けようとしているのである。そしてこのことは、私のような重度身体障害者から見れば、文字、絵、音、映像等のフィルターを介して交流していた時代のインターネット上においては無効化されていた「健常者との肉体的差異」が、VR技術(トラッキング)により顕在化することをも意味しているのである。*2

 さて、以上のような考察を経て私が選んだのは、「ブログ(文字)という肉体的差異が無効化され健常者と対等に渡り合える土俵で、あえて身体障害のことを書く」という方法だった。魂が肉体に屈服するのでも、魂と肉体を切り離すのでもない。どこまで行ってもこの肉体からは逃れられないのだ。それならばいっそのこと、生まれてから今までこの肉体に苦しめられてきた経験を自伝としてコンテンツに昇華してやる。この肉体を魂の満足のための道具として徹底的に使役する。それが私なりの肉体への復讐であり、肉体との折り合いの付け方なのである。

*1:リアルYoutuberについては別の機会に考察したい。VRブームは私のようないわゆるオタク層にも身体性を持ち込んだ点がリアルYoutuberと比較しても新しい点として挙げられる。

*2:もちろん障害者にとってプラスの面もある。それは体験できるものが増えること。先日はOculus Goでエベレスト登頂体験をした。VRがなかったら身障者がこんな経験は絶対できなかっただろう。