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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

承認欲求、自己顕示欲と他人への無関心について

9月1日に、インターネット相談サービスを通じて話した内容を以下に記す。

相談内容

 他者に興味がないのに承認欲求や自己顕示欲はある、とはどういうことか。またそれはどのように解決すべきか。

回答

  • 自分の中にいる他者(道具)と実在の他者がいる。
  • 他者を承認のための道具(モノ)のように扱うということは我々が普段からやっている普通のこと。
  • たとえば、SNSでいいね数を求めることや、会話の中でハイスコアを出すようなタイプのコミュニケーションなど。

解決策

  • 自分が興味を持てる範囲を拡大する。
  • 自分の中で鉄板ネタのようなものを作れば、相手に興味を持ってもらいやすい。

その後考えたこと

  • 承認や自己顕示欲といっても全面的な承認などあり得ないし、他者そのものに常に絶対的な関心、共感など抱けるわけがない。ゼロイチ思考は問題を分からなくする。
  • 自分の関心事(自分語りも含む)と相手の関心事(相手の自分語り)が重なる部分を見出し、その領域でコミュニケーションを続けた時、自然と立ち現れるのが相互承認ではないか。
  • ひたすら相手の話に合わせないといけない、と考えるとコミュニケーションは苦痛でしかなくなる。
  • 相手の出したワードの中から自分の興味の持てる会話を構築するゲームとして捉えると、楽しいかもしれない。

更に聞いてみたいこと(→以降は他の人の意見を追記)

  • ハイスコアを出すタイプのコミュニケーション、とはどういうものか。また、それはどのような時に現れるのか。→相手の歓心を買いたいとき。逆に自分が話したいことを話す時もある。
  • コミュニケーションの喜びとは何なのか。自分の興味のあることについてなら本やアニメを消費する方が面白い。生身の人間から面白さを見出そうとすると手間がかかるし、不確定要素が大きすぎる。みんな自分が承認してもらいたいから、自分語りがしたいから、代償として無理して相手の話に関心を持っている振りをしているのか?→①同じ内容でも、コミュニケーションには本と違って「共感」がある。人に言われた方がスッと入ってくることというのはある。②コミュニケーションを取りたい人と取りたくない人がいる。③興味ない人の興味ない話を聞くのは私だけじゃなくて誰だってきついとのこと。
  • 集団ではどうしても最大公約数的な仕事や恋愛の話にならざるを得ないが、ニコニコして黙って頷いている以上に自分も他人も良くなる方法があれば教えて欲しい。また、発話のタイミングが分からない。→「場による承認」というものがある。戦隊モノの「レッド」「イエロー」などのように、その場おける適切なロールプレイができたということで承認欲求が満たされる人もいる。
  • Twitterを見ていると、多くの非定型発達者がしばしば集団でワイワイしているが、何故そのようなことが可能なのか。どのようなコミュニケーションをしているのか。→集団でワイワイするのが好きな人が集まり、それが可視化されているに過ぎない。
  • 相手の出したワードの中から自分の興味の持てる会話を構築するゲームというのが難しい。→いきなり自分の興味の核心に入るのではなく、ワンクッション置くと良い。相手「子どもがこうこうこうで~」→自分「やっぱりお子さんって可愛いもんですか?」→自分「何故子供を持とうと思われたのですか?」など。この赤字の部分が大事。