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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

通院先での放火殺人事件の後に考えたこと

 西梅田こころとからだのクリニックへの放火事件で亡くなられた26名の方々に哀悼の意を表します。

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 事件後は喜び・希望・価値観を悉く見失い、ずっと見知らぬ世界にいる感じだ。だがその間も容赦なく時は経ち、昨日で早くも百箇日となった。

 もちろん忌日は単なる仮初めの数字かもしれない。本当の意味での心の区切りは、今後も到底付けられないだろう。

 それでもどこかを節目にするしかないのだとすれば、私もこの機会に今一度、現実を受け止め、言葉をまとめてみようと思った。

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 私は長らくネット、ラジオ、テレビ、新聞、その他一切に耳目を閉ざしていた。事件の話が出てくるかもと思うだけで激しい吐き気や動悸に襲われるからだ。この時期は事件自体の衝撃に打ちのめされていたように思う。

 それが徐々に収まると「自分はこの事件でどう傷ついたのか」「今後そこからどう回復し生きていくのか」が問題の中心となってきた。勿論それらは自分なりに事件と向き合い見定めていくしかない問いなのだが、やはり毎日、何も見聞きせず一日中家で独り考えていると行き詰まってくる。

 それもあり、情報環境含めて元の生活に戻していったのだが、その過程で自ずと事件への巷の反応を諸々知ることとなった。そして多くの命が奪われた事件を手頃な道具の如く扱う人達の言動に戦慄した。 何も知らないことを、知ろうともせず、事情通の如く語る者。できるはずのないことを実現すると軽々しく口にする無責任野郎。手前のビジネスに利用しようとする者。自己顕示欲に駆られて売名に用いる者。都合の良い部分をつまみ食いし、己の正しさを補強する者、世相を斬った気になる者。神の視点から論評する知識人とその真似事をする無数の衒学者。彼らはなんか言ってるようでその実何も言ってない。無の大喜利。こうした百鬼夜行は延々と続いた後、ある時突然飽きられて記憶の彼方に捨てられるのだった。

 これを眺めていて、部外者の言葉が当事者にとっていかに無用で醜いものかを痛感した。これほど凄惨な事態を前にしてもそうなのだから、部外者の言葉には大なり小なり粗雑で空虚で頓珍漢な性質が付き物なのだろう。私は今回たまたま当事者に近い位置にいたためにその側面がよく見えたに過ぎない。もっともそれ以前の問題の論外な言動も溢れているが「これは私も立場が違えばやってたかもな」と自戒させられる類のものも多かった。

 とまれ、これらは普段伺い知れないような、人の多くの側面を教えてくれる。誰が何を言ったかは絶対に忘れずいつまでも覚えておくつもりだ。それは私から見てその人が信頼できるかの重要な指標たりうるからである。

 これらは私が今回得た数少ない糧だ。もっと正確に表現すれば、そんないいもんじゃない、ろくでもない、けどそれしか無いから仕方なく手に取ったもの、と言うべきだろう。この事件自体はただただ不条理で理不尽で、私はそこから苦痛以外の何も見出せなかった。だから人々の反応から間接的に示唆らしきものを得るしかなく、それによって辛うじて自分の中に事件を意味付け、心を守っている、という方が実態に近い。

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 私はあの病院には約4年間通っていて完全に日常の一部だったから、少なくとも世間一般よりは遥かに多くの事柄を知っている、とは思う。しかし例えば、私が本稿に病院の様子や情報を事細かに書き記したとして、一体その行為に何の意味があろうか。確かにそれによって、巷に出回る誤情報や憶測、それらに基づく毀誉褒貶などの何割かは明確に誤りだと示せるだろう。だがそれは同時に傷付いた人達の傷を更なる危険や中傷に晒す作用も持ち得る。その両者を比較衡量すると、本件に関する流言飛語を逐一相手にし反駁することに、私はどうにも意義や公益性を見出だせない。だからそれを書く資格は無いと思う。書く資格の無い者が書くべきでないことを無理矢理書いたらどうなるか。醜い言葉の見本市となる。前述した通りだ。

 よって、私は本事件を対象化し客観的に語る言葉を持たない。

 それが悩んだ末の結論である。

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 本件の報道で唯一感じるものがあったのは、その中に登場する通院先を失った元患者達の言葉だ。やはり当事者性は大事であり、それこそが言葉に重みと責任を吹き込むのだと改めて知った。これは考えの異同や正否とは別の話だ。彼らの語りの行間にある複雑な思いは言葉にはならずとも、同じ病院に通って身として、私も少なからず共有しているものだと強く感じられるのである。

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 病院があったビルの前の歩道に行けたのは、事件から随分経ってからのことだ。「通行の邪魔になるので献花はご遠慮下さい」と貼り紙された赤コーンが花より多く並べられていて、行きしなに買ったスイートピーは宙に浮いてしまった。

 現地で手を合わせていた数分間、様々なことが胸をよぎった。元々この病院に通い始めたのは、常に頭を占める非現実的な不安妄想から解放されたかったからだ。それを思い返すにつけても、当時の強迫観念を遥かに上回るような惨時が現実に起きたとは信じられない気持ちだ。

 少なくとも私はこの病院と出会い格段に生きやすくなった。辛い時間が減り納得して過ごせる時間が増えた。心療内科でありながら、貴重な時間と手間を割いて私の車椅子を持ち上げて下さった看護師の方々や西澤先生への感謝は尽きない。

 その恩をもはや直にお返しできない以上、自らの行動や在り方を通じて他者に何某か報いていくしかないし、そうしなくてはならない。将来が全く見通せない日々の中、その義務だけは強く確信している。

(つづく)