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ダブル手帳の障害者読み物

身体障害1級(脳性麻痺)・精神障害3級(発達障害)。文春オンラインなどに執筆しているライターです。多くのヘルパーさんのお陰で、一人暮らしも気付けば10年を超えました。

社交辞令を全部真に受けよう

 発達障害者にはありがちなことと思うが、私は社交辞令とそうでないものを見分けるのが昔から大の苦手だった。相手の言葉が単なる社交辞令なのか、本心から発せられた言葉なのか、全く分からない。普通の人は相手の言葉の抑揚や身振り、状況などから直観的に判断できるのだろうが、私にはいくら考えても分からない。社交辞令を真に受けた結果傷付くこともたくさんあった。

 私はその反動で相手の発言を極度に疑ってかかるようになった。この発言は社交辞令なのではないか? そうに違いない。だからそれを真に受けて舞い上がるようなことがあってはならない。相手の言葉の裏を読み、適切な距離感を保ち、抑制的に振る舞わなければならない…

 しかしこのように疑心暗鬼が行き過ぎると今度は全く友達ができない。相手からの好意的なアプローチも全て社交辞令として処理してしまうからである。

 ではどうすれば良いのか? 私が悩んだ末に見つけ出した解は「社交辞令を全部真に受けてみる」というものであった。つまり、「機会があれば食事でも行きましょう」と言われれば必ずその後こちらから食事の誘いをするし、「是非うちに遊びに来てくださいね」と言われれば即座に遊びに行くための日程調整に入る。こういうことを言ってくる人の九割は社交辞令だが、逆に言えば一割の人は本心から誘ってくれている。その場合、相手も「内心迷惑に思われていないだろうか」と心配しながらこちらの反応を窺っていることが殆どである。これは忘れがちだが重要な点で、私が相手の真意を推し量ろうとしているだけではなく、相手もまた私の真意を推し量ろうとしているのである。従って、相手の誘いに対してこちらから具体化のアクションを起こしていくことは、相手に「全然迷惑ではないですよ。むしろあなたともっと仲良くなりたいです。」というメッセージを送って安心させる効果があるのだ。実際この方法で何人か友達ができた。

 もっとも、それは本心から誘ってくれた一割の人に限った話で、社交辞令で言った九割の人は良い印象を持たないだろう。「社交辞令に決まってるだろ… 普通に分かれよ… 空気読めよ、図々しいやつだな…」と思われるに違いない。これは仕方がない。一割の人と仲良くなるためには九割の人に嫌われる覚悟が必要である。

 ただし、社交辞令を全部真に受けることによって以下のような副次的効果もある。

  • 相手は私のことを「言葉を全部額面通りに受け取るヤベー奴」と認識するため、以降は本心からの発言しかしなくなる。こちらとしては相手の発言を字義通りに解釈すればよくなるので非常に楽である。
  • 「言葉の裏を読めないのは人としてありえない」と思っているような人は勝手に離れていくため一種のフィルタリングになる。常に言葉の裏を読むようなハイコンテクストなコミュニケーションを要求してくる人と私はどのみち仲良くなることはできないので、早い段階で合わないと分かる方がお互いのためである。
  • はじめは社交辞令から発せられた言葉だったとしても、こちらが真に受けていくことで稀に本物の友情に変わることもある。FAKEもREALに変えるぐらいの勢いでいくと人生が楽しい。

  ちなみに、私自身は絶対に社交辞令を言わないようにしている。本当に来て欲しいと思った時以外は口が裂けても食事や家に誘ったりはしない。そして誘う時はその場ですぐ日程調整を開始する。社交辞令ではないことを示し、相手にこちらの真意を推し量る手間を取らせないようにするためである。それが私なりの誠実さであり、筋の通し方だと思っている。